第48期 #26
海岸を通ると、波打ち際に置かれたピアノの前に、男が座っていた。
呆然と遠くを見ている。
彼女が前に付き合っていた男で、偉い作曲家なんだそうだ。
「どうも」
会釈をして通り過ぎる。
「いらない」
彼女の誕生日に人形をプレゼントしたが返されてしまった。女の子はみんな人形とかそういうものが好きなのだろうと思っていたから人形を選んだのだが駄目だった。金色の髪の毛をふわりとカールさせた可愛い人形なのだが駄目なのだった。
デパートは今日も混雑していた。人形売り場が見つからない。まず人形を返品しないと。返品して、そのお金でなにかまたプレゼントを買わなければ。
「人形売り場はどちらですか」
「あちらです」
人形を抱えなおし、歩き続ける。インテリアコーナーを抜け、ケーキショップを通り過ぎ、そして本屋の脇を通りぬける。色とりどりの本の上には幾つかのレモンが置かれていた。
時計売り場のちきちきという秒針の音が遠くから聞こえる中、それは静かに佇んでいる。
人形売り場は見つからなかった。階段を昇るとそこは屋上だった。
間違って屋上へ出てきてしまった。
ごお。ごおお。
強く風が吹いている。そしてちかちかと瞬く黄色いネオン。いつの間にかもう夜だった。
人形を抱え、フェンスにもたれかかる。
ふと目をやった先に、古びたピアノが置いてあった。
鍵盤に触れる。音が鳴らない。何度打鍵しても音が鳴らない。
ピアノを思いっきり押した。そして屋上から突き落とす。
ピアノは大きな音を立てながら落ちていった。ついでに人形も。
「ははははははははははははははは」
がしゃーん。きん、がーん、がらーん、がーん、がしゃーん。
「はははははははは、予想以上に良い音がするじゃないか」
それは、本当に良い音だった。とても、良い曲だった。
気がつくと隣に男が立っていた。彼女の昔の彼氏だ。
「どうですか」
男に笑いかける。
「これから一杯、どうでしょう。おごりますよ」
金も無いのにそんなことを言い、男の肩を掴む。男はこちらを見ず、下をずっと覗き込んでいる。
「お願いしますよ。ね、付き合って下さい。良いでしょう」
男の体に身を寄せた。男はこちらを見ない。さらに身を寄せる。男の太ももに手を伸ばし、耳元で囁きかける。
がーん、きん、がん。ちき。ちき。かーん。
ピアノは落下し続けている。瞬くネオン。音はどんどん重なっていき、まだまだ鳴り止む気配を見せない。