第48期 #22

足を揉む

足を揉む仕事を立ち上げて六年になる。狭い事務室にアルバイトの受付と僕の二人。料金は十分千円。男女問わず客がやってきて裸足になる。まず湯を張った桶で皮膚をほぐし、それからじっくり揉む。

足とひとくちにいっても一人一人がいろんな形の足を生きている。それは一枚の立体地図であって、外見は同じような女性も足の形に独自の生き様が彫られている、たとえば土踏まずだとか踵の滑らかさだとかを僕はよく観る。

他人の足の裏をつくづく眺める職業につくとは自分でも思っていなかった。仕事帰りの客の中には酷く臭気のこもっている人もいれば、初期の水虫の人もいる。油汗が滲んでいる同性の足を揉むときは一瞬抵抗が生まれたりする。ときどき、悪意の塊のような客も来て「どうしてお前はこんな仕事をするのだ」としつこく訊いてくる。

仕事初めの三年間は理想と比べてあまりに嫌なことしか見えてこなかったが、今は馴れてしまって、臭気は獣の匂いであり水虫は不運な病気であり、悪意の塊はそれはそれでかわいいものではないか、ここでしか発散できないのだ、と解釈するようになった。まあ、客に問題がある場合はなんとかなる。

しかし、自分に問題がある場合は簡単ではない。

今日の午後、あの人がくる。

彼女は足揉みに二時間指定してくる。僕が揉んでいる間、黙って本を読み続けているが、揉み方が単調だと溜息をもらす。部屋にかかっている流行ポップスに耳を傾けて露骨に怪訝な素振りを見せ、部屋の配置に不満そうな顔をする。置いてある雑誌には目もくれない。それは僕自身の品性に対しての不信感なのだと気づいた。

僕はそれ以来、大切なのはただ揉む技術でもなければ流行を用意することでもなくて、結局は僕の感性が試されているということに今さら思い至った。

実は今日、BGMはグレン・グールドの弾くバッハ「イギリス組曲」である。まずバッハを聴かねばならぬ、と思い立って乱聴した結果、これが一番よかった。気に入ってもらえるだろうか。壁紙や調度品のセンスは以前変わらぬままであるが店の千円札をピン札にした……。

時間通りに彼女がやってきた! 年齢不詳の、そこはかとない知性を裸足からも感じる。足の筋肉がやや張っている。歩いたのだろうか。グールドが流れはじめる。耳がぴくっと動いたような気がする! いつものように彼女は鞄からカバーのかかった本を取り出し、僕は仕事中は一切喋らない。僕はひたすら彼女の足を揉む。



Copyright © 2006 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編