第48期 #13

白い家から真っ赤なボートを見た

 入って行った白い家は、赤い床と白い壁でできていて、扉がなくて、やたらと部屋が多くて、一階建てで、そして何もなくて、けれど、誰かが住んでいる雰囲気があった。屋根はなくて、白く霞んだ空が切り取られ、視界の端に黒雲が忍び寄っているのが見えた。

「今夜は嵐になりますなあ」
 と、私は言った。
「冷たくて気持ちいいですねここ」
 と、赤い床に寝転がったまま、漁師が言った。
「そういえばむしむししますね」
「あれを見てください! あー、だめだ、間に合わなかった」
「何です」
「今ちょうど鯨の形に雲が」
「ほう」
「鯨は立派な生き物ですよ。食べたことあります、鯨?」
「いいえ、私はまだ」
「私だってありません!」
「おいしいんですかね」
「何が好きですか、食べ物では」
「フルーツ、ですかね」
「南国にはよく行かれるんですか」
「いいえ、一度も行ったことはありません」
「それじゃあ、林檎は好きですか」
「特にそれだというわけではありませんが、好きですよ」
「私は魚が嫌いなんです」
「漁師なのに」
「ええ漁師なのに」
「大変でしょう」
「ものは考えようです。嫌いだから、たくさん殺すのです」
「そういう考え方もありますね」
「林檎食べます?」
「いただきます。実はずっと喉が渇いていたんです」
「私、漁師に向いていないんです。本当は、教師になりたかったんです」
「(むしゃむしゃ)」
「食べることに夢中にならないで!」
「(むしゃむしゃ)すみません」
「あれは私が八つの時でした。学校の宿題をやってこなかった私は、若い担任の男の先生に強く叱られました」
「ほう(むしゃむしゃ)」
「私は宿題を終わらせ次の日に臨みましたが、担任の先生は学校に現れませんでした。同僚の女教師と駆け落ちしたのです。あなたがその先生ですね」
「(ごくん)ひさしぶり」
「お久しぶりです」
「彼女とは離婚したんだ」
「他に女ができたんですか」
「違う! むこうが男をつくったんだ!」
「その相手が私だったらどうします」
「え」
「その林檎が毒林檎だったらどうします」
「え」
「言ってみただけですよ」
「……」
「あら、嵐になりそうですね」
「確かに」
「それでは漁にゆく時間です」
「ここで待っています」
「では」
「また」

 荒れだした海を、一艘のボートが進んでゆく。真っ赤なボートが。



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