第47期 #8

生きている証

 手のひらを畳の上に押しつけ、甲のあたりをアイスピックで貫通させた。あまりの激痛に、顔は歪み声も出ない。鮮血はあふれ、畳は赤黒く染まる。流れている! 鮮血を見ることで、自分の「生」を確認する。
 僕のリストカットは次第にエスカレートしていて、ここまでしなければ最近は満足できない。すでに左腕はポンコツになっていた。半袖などまず無理で、手袋は欠かせない。左手の甲はボコボコで、筋を痛めたせいか指さえろくに動かない。それでも神経症はおそいかかってくる。「自分の生を確認せよ」。いつからだろう?
 クラスに過食症の女の子がいた。夜中家族が寝静まると、隠しておいたお菓子やケーキをとにかく気持ちが悪くなるまで食べ続け、限界になったところで右手の中指を喉の奥深くまで突っ込み、一気に吐き出すと言っていた。それをすることで、彼女の日常はかろうじて守られていた。彼女はいつも青白い顔をしていて、不自然なくらい痩せていた。転校してしまったが、恐らく今も食べ続けているに違いない。
 そのたぐいの話は無縁と思っていた僕が、こうなってしまったのはきっとあの「夢」が原因なのかもしれない。
 僕の血管には無数の穴があいていて、血液が漏れて、どんどん身体は紫色になっていく。そして僕は、ミイラになって死んでしまう。
 僕はとび起きると、乱れた呼吸で自分の手のひらを眺めた。
「夢? 嫌な夢だ」
 僕はすぐ布団にもぐったが、血液は正常に流れている? という衝動にかられて、母の化粧用カッターで初めて左手首を切った。鮮血があふれ出て安心したのをはっきりと記憶している。
 習慣性とは恐ろしい。
 今朝、同じクラスの斉藤が、もし僕に何かあったらこの手紙を読んでくれと、一通の手紙をよこした。僕は以前、彼から相談を受けたことがあった。彼はネクロフォビアで、日々心臓停止を恐れ、色々な手段で「生」の証を求めていた。
 そして、手紙をくれた夜に彼は自殺した。
 手紙を開ける。
『中井、僕は死んでしまっただろ? だから、さっきまでは生きていたってことだよな。だから僕は生きていたよな』
 究極の証だった。猛烈なショックだった。
 僕は、その夜から自分の鮮血を見ることはなくなった。斉藤に究極の証の結果を伝えに行くために。そして、リストカットとさよならするために。



Copyright © 2006 心水 遼 / 編集: 短編