第47期 #15

旅人

酒を飲みながらアイツが言った。

僕は『楽園』を目指すよ。

俺は笑った。

いきなり素っ頓狂なことを言いだすな。

いや、僕はずっと考えてたのさ。
けれど実行する勇気が無かった。だから言えなかったし、できなかった。
でも、気づいたんだ。行かなくちゃ何も変わらないって。
僕は行くよ。だから、今日でお別れだ。

おいおい、何を言い出すんだ。もう酔っちまったのか?
そもそも『楽園』ってなんだ?俺は全く分からんぞ。

『楽園』は君も知ってるはずだ。
…これが地図さ。僕はやっと見つけたんだ。

地図?これが?子供の落書きにしか見えんぞ。
どうした、何か悩みでもあるのか?俺でよかったら相談に乗るぞ。

僕は行く。だから、今日でお別れなんだ。

何を言っている?訳が分からない。

お別れなんだ。

何を…。

君はもう忘れてしまったのか?

……。
なんなのか分からんが、そんなものがある訳無い。考え直せ。

かもしれない。けれど僕は地図を手に入れた。『楽園』を思い出した。
探しに行く。これはチャンスなんだ。

…それは、今の生活を捨ててでも手にすべきチャンスなのか?

もう諦めたくないんだ。

…俺はどうなる?…お前がいなくなってどうすればいいんだ?
お前は俺を失っても、それでも行くのか…?

すまない。けれど。

俺たちは、俺たちはずっと一緒にいたじゃないか!



俺はいつのまにか泣いていた。泣きながら叫んでいた。アイツに行くなと何度も繰り返していた。

それを見ながら、アイツは寂しそうに、けれどしっかりと何度も繰り返していた。



すまない、それでも、僕は―――。



目が覚めると、アイツはいなくなっていた。

……そうか……、行っちまったのか。
…マスター、アイツいつ出てったんだ?

アイツ?アイツって誰です?あんた、ずっと一人で飲んでたじゃないか。

…え?何を言っているんだ?アイツはずっと俺の隣で…。
……名前……、そういえば、アイツの名前、なんだっけ…?

俺は落ち着かなくなって辺りを見回すと、足元に紙切れが落ちているのを見つけた。

これは…、アイツの地図…?

拾い上げて見てみると、やはりそれは俺には子供の落書きにしか見えなかった。

けれども、どこか懐かしくて、しかし、何故なのかは思い出せなくて

俺はまたいつのまにか泣いていた。何かを洗い流すように。何かを埋め合わせるように。



『楽園』なんてある訳ない。そんなものがあるはずない。

けれど、アイツの名前は…一体なんだった?



テーブルの上では汚い地図が鈍く光っていた。



Copyright © 2006 正野京介 / 編集: 短編