第46期 #9

楽器を使い切れ

「しらーないーーうちーにーー」
 文化会館で音楽発表会など、誰が考えたのだろう。映画館級の広さを誇る立派な施設を借り切ってまで催すほど、彼ら中学生の合唱は尊いだろうか。
「じかんはーながーれるー」
 恣意的に決められた学年代表に意味などあるものか。
 聞け、この一年坊の拙きハーモニーを。声量のみを追求する付け焼刃の練習を重ねただけの、未熟さ溢れる歌声を。
 彼らの親達以外に、果たしてこれを芸術として受け止めることが出来るのだろうか。
 ――ああ、聞いているだけで苛々するわい。
 そんな生徒らの御守りをするようにタクトを振るしがない雇われ指揮者は、先月に妻と離婚したばかりだった。苦笑いしながら母親を選んだ息子もちょうど中学一年生だった。
「ないーてもーーわらーってもーー」
 もっと、もっと歌えばいい。そんなに歌いたいのなら。
「ああーーああーーー」
 全力で腕を振る。愚直にボルテージが上がる一年生。更に振るう。尚も付いてくる生徒。真っ赤な顔。掠れる声。絶叫に近い。もっと。もっと。倒れる生徒。慌てて舞台に上ってくる教師。弾き飛ばす私の豪腕。その程度で私の指揮を止められると思うな。
「じかんはーーーながーーーれるーーー」
 死屍累々と横たわるお前たちに私は同情しない。積極的に生徒を薙ぎ倒す指揮棒。チアノーゼを起こした所が勝負の始まりだ。そのO脚の女子生徒はなかなかどうしてしぶといが、実力の差は明確だ。女子生徒は目を限界まで見開いたまま、悔しそうに頽れる。
 それで歌声は耐えたが、場内は熱狂的な興奮に包まれて、歓声と怒号が渦巻く。やがて始まる指揮者コール。
 指揮者。指揮者。指揮者。
 タクトを最大に伸ばして、血を払うように鋭く袈裟懸け一閃。正装の上着を脱ぎ捨て、挑発するように息をついてみせる。
 そうだ。彼の戦いはまだ終わっていない。
 それに応えるようにして、ギイと椅子を引きながらゆっくりとピアノ伴奏者が立ち上がる。そして不敵な笑みを浮かべながら、指揮者の前に対峙した。



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