第46期 #5

ひじき藻

 ボウコウエンの所長にかわって、ジャッカルが中学校を訪れた。
 「10年後を見すえた営業」が所長の口ぐせだった。バレンタインデーは、10日後にせまっていた。
「ちゃんと手、あらってください」
と、保健の教師が言った。
 閉鎖している学級以外は、授業中だった。校長は、インフルエンザで休んでいた。教頭は、校長のぶんまで忙しかった。保健の教師は、立場上、インフルエンザで休むわけにはいかなかった。責任感がつよいのだった。いちばんさいしょに感染し、学校じゅうに広めたのが、彼女だった。
「思いを寄せる相手に、ひじきを贈ったことはありますか」
 ジャッカルは、営業活動を開始した。
    思いあらば むぐらの宿に 寝もしなむ
      ひじきものには 袖をしつつも
「その気があれば、おんぼろ宿でもいいんです。布団がなければ、脱いだ衣服のそのうえで、やりましょう」
 そういう歌を添えて、むかしの人は、ひじきを贈った。
 布団=引敷物(ひじきもの)=ひじき、とジャッカルは板書した。
「そんなひわいな歌は教えられません」
 若い、おんなの教師は席を立った。ジャッカルは食い下がった。白衣のすそにしがみついて、じたばたした。ようよう、試作品を食べてもらった。
「まずい」とおんなは言った。「どうしてチョコレートの中にひじきが入ってるの、しかもこんなにたくさん」
 白衣の教師は、構想10年の労作をティッシュに吐き出した。
「お産がね」とおんなは言った。「かるくなるって言うじゃない、トイレをねっしんに掃除すると」
 ほんの少しの洗剤をスポンジにつけ、おんなは便器を洗うのだった。素手で、ふん尿の流れおちる奥のほうまで、背筋をのばして。
「なにか産む予定でもあるんですか」
 事務所の便所は磨き上げられた。おんなのおかげでいつも美しかった。ためらって所長は、よそで用を足した。近くのストアーなどで。
「高子さん、いい奥さんになりますよ」
「政治家の奥さんなんて、たいくつだわ」
 しかしおんなは子どもを産むだろう。三代つづく、県議会の議席を死守しなくてはならなかった。
「ちょくちょく来てよ、ロイヤルミルクティーつくって待ってるわ」
「ちょくちょく行きますよ。12種類のゲームのできるゲーム盤もって」
 いちおう断っておくけど、これは高子がけっこんする前のはなしです。父親が理事長を務める「ひじき振興組合」で、一般階級の人たちといっしょに働いていたのである。



Copyright © 2006 桑袋弾次 / 編集: 短編