第45期 #23

痴呆蓄音機

 2ヶ月ほど前、ナオミにせがまれフリマで買った蓄音機。2000円払ったあとで置く場所がないとかなんとか言うから…仕方なくオレの部屋に置くことにした。
 アンティークといえば聞こえはいいが、コイツに関して言えば、ガラクタと呼ぶほうがふさわしい。
 あなろぐ。
 ニスの剥げたケヤキの筐体、錆びた真鍮の金具。そんなものを眺めにナオミは毎週、水曜の夜にやって来た。眺めてうっとりする彼女の姿に、オレは首を傾げた。
 なにがいいのか、わからない。
 わからないけど火曜の夜は掃除のついでに、“あなろぐ”を乾拭きしてやった。
 あなろぐ、えんばんくるくるかいてんき。
 錆ついたラッパから、調子はずれの歌謡曲が流れ出す。
 昭和30年代に流行ったらしい、あまり馴染みない曲。立てかけてあるエレキベースが泣いている。せめて8ビートにならないかな…。
「そんな古くさい曲やめろ、あなろぐ」
 すまないねぇ。
 歌謡曲のかわりに、志ん生の声が鳴り響いた。
 なにがどう壊れたらそうなるのかわからないが“あなろぐ”は、いままでに鳴らしたことのある音を、時おり思い出し、唐突に再生し始めた。大抵は調子はずれの歌謡曲だが、ときどき落語や浪曲、クラシックやジャズが鳴り響いた。前の持ち主は、ずいぶんと多趣味だったらしい……いや、何人もの主人に仕えてきたのか。
 痴呆蓄音機は、レコードがないことを忘れて、音楽を奏でる。
 真鍮のラッパから、静かなピアノ曲が流れてきた。
 懐かしい、どこかで聞いた曲。誰の、なんの曲だったか思い出せない。映画に使われたんだっけ?
「なあ、あなろぐ。その曲のタイトルなんだったっけ?」
 あなろぐは応えない。ただピアノ曲を思い出し、身勝手に再生を続ける。
「モノクロだったっけ? …なー、なんとか言えよ」
 あなろぐト短調……。
 曲が終わり、部屋に静寂がもどった。
 結局、タイトルは出てこなかった。
 あなろぐは、磨り減ったダイヤ針がついたアームを静かに、ゆっくりと上下に動かした。新しいレコードをねだっているようだった。
 なー、あなろぐ。
 いくらねだってみても、このアパートに、レコードなんてどこにもないんだ。
 なー、あなろぐ。
 レコードを持ってるナオミは、もう来ないんだ。
 第一、今日は土曜の夜で火曜の夜じゃない。
 そんな哀しいバイオリンの小品はかけるな。
 せめて、8ビートにしてくれよ。
 すまないねぇ。
 志ん生の声が鳴り響いた。



Copyright © 2006 八海宵一 / 編集: 短編