第44期 #26

香辛料

 中学時代、実家がカレー店を経営していることもあって、カレーにとてもうるさい少年がいた。その少年は遠足や社会化見学ともなれば必ずと言っていいほどカレーを持ってきて、彼の鞄から漂ってくる独特の匂いを私は今でも覚えている。
 中学三年生の宿泊学習で山に行った時も、彼は当然のようにカレーを持ってきた。そして登山中に突如吹き荒れた暴風雨の中、彼は斜面を滑り落ち、カレーと泥にまみれて死んでいった。
 実を言うと、私が殺したのだ。もちろん殺意はなく、悪戯に彼の脇腹をとん、と押しただけである。まあその事実は私以外誰も(恐らくあの少年も)知らないのだが。

 あれから早五年経った。私は一人キッチンに立っている。彼への追悼の意からなのかは定かではないが、カレーを作ってみようと思いたったのだ。
 カレーを作ろうと「試みた」のは初めてではない。五年前にも私はカレーを作ろうとした。その時は隣にあの少年がいて、料理を始めると彼はあれこれ私に文句を付け始め、それが面白くなかった私は料理をやめ、少年を家から追い出して、それきりである。直後彼は死んでしまったのだから。
 私はスーパーの袋から妖しい香辛料を三つ取り出した。あの少年は、この三つの調味料を混ぜて使うと全体的にコクがでる、と自慢げに話していたのだ。とりあえず適当に混ぜてみると、ふっと香辛料独特の臭いが鼻をついて、徐々に私はあの少年のカレーを思い出していった。
 次に私は冷蔵庫から母親がくれた使いかけのカレールーを取り出し、野菜を用意して、カレーを作り始めた。ろくにカレーの作り方を知っている訳でもないのに、きわめて順調に作業は進んだ。まるであの少年が隣に立ってアドバイスをくれているようだ。次はこうしろ、もう少し待て、などと私の手をとりながら指示をしてくれている。私はキッチンを一度も離れることなくカレーを作り上げた。少年は私に微笑みかけた。よくできた、と言ってくれた。私は色々な意味でホッとした。
 少し勿体無い気がしたが、ぱくりと一口食べてみる。すると香辛料の味が口に広がり、それだけだった。辛くもなんともない。キッチンに戻り材料を確かると、カレーのルーだと思っていたそれはビーフシチューのルーであり、いつの間にか少年の姿は消えていた。キッチンには滑稽な料理と私だけが残った。

 それからしばらくの間、私は一人、静かに、笑っていたろうか。それとも、泣いていたろうか。



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