第44期 #22

積み荷のない船

 港には一隻がぽつんと浮かんでおり、それが敏幸の乗る船に違いなかった。それは余りに小さく、今にも沈んでしまいそうなぐらいだった。待合室に入ると、敏幸は俺に近づいてきて、握手を求めてきた。敏幸はあまりに平然としていて、手荷物さえ持っていなかった。その姿は、これから港を出る男のようには全く見えなかった。
「久しぶり」
 敏幸は数年前に見せてくれたのと同じように、目尻に皺を作りながら俺に笑いかけた。俺はどうして返してよいかわからなくて、ずっと手に握っていた茶封筒を敏幸に見せた。数年ぶりの俺宛の手紙には、強い決心と、戸惑いが書かれていた。
「結局見送りに来てくれたのは、お前だけだったみたいだな」
 一年に一回だけ、この港から出る小船がある。本土と島を結ぶ連絡船はこの港より少し東に造られた浜辺から出るようになっていて、この港に船はほとんど訪れない。長らく町の唯一の産業だった漁業も廃れ、この島にしがみついて生きることしかできなかった港は、ゆっくりと静寂に浸かったかと思うと、瞬く間に沈んでいった。
「手紙は、俺以外にも出したの」
「いや、お前だけ。たぶん、出しても同じだったと思う」
 そう言うと敏幸はまた笑い始めた。俺も笑おうとしたが、顔がこわばってしまい笑えなかった。
 船では、船頭が一人なにか作業をしていた。どうやら錨を外そうとしているようで、それが出港を意味していることは、敏幸も気付いているらしかった。敏幸は待合室に備えられた椅子に座ると、たどたどしく語り始めた。
「どちらにしても、俺がやんなきゃいけなかったんだと思う。島のみんなには迷惑かけてきたし、お前も本土に行ってる間俺の話よく聞いてただろ。どうしようもなかった。禊ぎみたいなもんかな。だから勝手に行ってこようと決めたんだ。だけどやっぱりなんか物足りなかったんで、お前に手紙を書いたんだ」
 俺は本土で生活を初めて以来、敏幸の話はおろか、島の話すら聞かされていなかった。この島が本土にとってどれだけ希薄な存在であるか、敏幸は知らなかった。そして本土がこの島にとってどれだけ重要な存在であるか、俺は知らなかったのだ。俺は何度か義務的に頷いた後に、一言、こう尋ねてしまった。
「また会えるんだよな」
 船は、波の流れに従順になって、ゆらりゆらりと動いていた。疑うこともなく揺れていた。敏幸は何も言わず、ただ俺の目をじっと見つめていた。表情さえも変えなかった。



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