第44期 #18

愛せない者は愛されない浜辺

 ひるさがりの由比ガ浜に来ていた。太陽は真うえ、僕と母さんは砂浜に立っていた。鼠色の水平線のこちらにはごま粒大のサーファーたちが波乗りを楽しんでいた。僕が穴を掘って母さんが海辺の砂浜に死体を埋めた。
 世間に対してなにかしらの嫌がらせをしたいと常々思っているものだから、これはつまり、彼らへの嫌がらせと言うわけだ。彼らが海辺の砂浜ではしゃいでボール遊びなんかに興じる。砂浜の小山につまづく。すると砂山が簡単にむけて中から腐った死体が現れる。どうです? なかなか、なかなか良いでしょう? 強い潮風が吹きつけてくる。
 今朝方、母さんの可愛がっていた十四匹の猫のうちの一匹が、茶虎の猫が血を吐きながら死んでいた。目を開けたまま、前足も後ろ足も背筋も全力で突っぱねらせながら死んでいた。死後硬直していたので、目は閉じさせることができなかった。だから洗面所用の青いタオルを頭にかけてやった。
 僕は車が運転できないので、母さんに運転していただき、三時間もかけて由比ガ浜まで来た。母さんは僕の言う事をなんでも聞く。父さんは借金をたくさん作って家を親戚に追い出されたから、たいてい、母さんは長男の僕の言う事を聞く。そういう仕組みだ。
「インスリン? インシュリン? どっち? 母さん、人間って、どうしてこう、思い描くことと実際に起こることには、大きな隔たりがあるんだろうね。僕は心と肉体はもともとばらばらの生き物で、人間という種が生まれるっていうその瞬間に、心が肉体に寄生したんだと思うよ。だからこんなにも想像と現実がちがってくる。たとえば象の耳が翼になって羽ばたくアニメがあるじゃないか。でもそんなこと、ちっとも現実には起こりゃしない。もしかしたら人間は、いつか科学でなんとかするかもしれないけどね。でも絵や言葉ではたやすく想像できるものが、現実では反吐が出るほど困難だ」
 海辺にいるとすらすら言葉が出てきた。魂は液体状のものだと思う。だから海にはたくさんの祖先の霊たちが泳いでいて、その無数の霊魂が、間違った事を言う前に口を塞ぐに違いない。言葉が肉体を食い破って心に到達する瞬間が、いくども訪れた。言葉や絵や音楽だけが、肉体を貫通して心に届く。
 強い潮風が頬をこすった。
 僕はうつむいた。
「パートの時間があるから」
 母さんが促して、僕らは車に戻った。母さんは運転がとてもうまい。思わず僕は帰路の中途、眠ってしまった。



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