第43期 #25

ワラジムシのワラジ

 青木は全く仕事ができなかったため社内では役立たずと言われたが、彼はその上出来もしない株やギャンブル等に手を出しては失敗するので、何足ものワラジを履くことから今ではワラジムシという呼び名が定着している。せめてダンゴムシならまだ可愛いのになあ、と彼は常々思っていた。
 しかし、そんなワラジムシの青木にも人には決して譲れないものがある。それは通勤の完璧さだ。彼の在籍していた中学校、高校、そして今いる会社は同じ町内の同じ区内にあり、彼の住居も昔から変わっていないため、せめて何年も通っている道くらいは誰よりも完璧に、かっこよく行動しよう、というのが彼の唯一の信念であった。

 今日も青木はいつものように八時五分前にバス停にやって来た。ここで文庫本をかっこよく読むというのが彼のスタイルである。そして五分後にバスがやってきて、青木は整理券を後ろ手でかっこよく取り、バスに乗り込んだ。
 座席に座って落ち着いていたところ、ふと青木は財布を忘れたような気がした。慌ててバッグの中を見てみると、きちんと財布はあったので彼はほっとしたが、財布の中身を確認して愕然とした。彼の会社までの運賃は三百五十円なのだが、生憎彼は壱万円札と三百四十円しか持っていなかったのだ。このままではお釣りを貰うのに手間取ってしまって、後ろの人に舌打ちをされるかもしれない。しかも彼の隣に座っていたのは金髪の不良っぽい男だったので彼の不安は一層高まった。
 しかし、さっきからその男は隣でぜいぜいと荒い息をしていて、時折呻き声さえ上げている。どうやら酔ってしまったようだ。青木は一瞬ぎょっとしたが、その男があまりにも苦しそうなので思わず声をかけた。しかし男はただ呻くだけである。周りの席は全て満員だったので仕方なく青木は席を立ち、その席を男に譲った。男は微かに「すみません」と答え、横になった。
 直後青木が降りる時間が来たが、男はまだ具合が悪そうで、他の人は全く関係ないという顔をしていた。青木は何だかこの男が可哀相になってきて、結局男の降りる場所まで付き添った。かくしてワラジムシはまた一足ワラジを履いたのだ。
 男を公園のベンチに寝かせ、これからどうしようかと考えていたら、男はお礼のつもりなのか煙草を一箱青木に手渡した。
 青木は煙草を吸わなかったし、完璧な通勤も崩れてしまったので彼はうなだれたが、でもまあいいかと踵を返して会社に向かった。



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