第43期 #24

天国と地獄

 長時間液晶の画面を見続けていた為に疲れて痛み出した目に男は顔をしかめ、眼鏡をはずすと、ゆっくりとした手つきで、丹念に目頭を揉みほぐした。先日取引先に納品したばかりのシステムに早くもトラブルが生じ、こうして深夜にまで会社に残って対応に追われているのだ。その上プログラム修正にかこつけて、先方が一度通った仕様書に今さらになって難癖をつけ出してきた。よくある事といえばよくある事だが、嫌にならないと言えば嘘になる。

 疲労の色濃いため息をつき、冷えきったブラックコーヒーに口をつけると、再び作業に入る前のしばしの休憩として男はデスクトップのアイコンをクリックし、ブラウザの画面を開いた。軽やかな音をたてながらマウスとキーボードをあやつり、様々なニュースやコラムが次々に液晶に現れるのを見るともなしに眺めていく。こうして休憩時間中にも眼を酷使したりしているから、視力が下がる一方なのだなと男が思考の片隅でぼんやりと思っていると、ふとその手が止まった。
 
 男の目を惹いたものは、地名をキーワードとして入力すると、その地域の地図と衛星写真をウェブ上で閲覧することのできる新しいサービスだった。入力したキーワードが正確でありさえあれば、ほぼ世界中のどこでも瞬時に俯瞰図で映し出し、各地を旅行気分で移動することができる。最近ではこんな技術もあるのかと内心で舌を巻きつつも、試しに様々な都市名を次々に入力してディスプレイに表示させていく。パリ、ニューヨーク、ロンドン、バンコク、ブエノスアイレス、カイロ……。知る限りの地名をひとしきり入力して、感心しながらブラウザを閉じる前に、男はふと思いついて冗談まじりにとある言葉を入力してみた。

『 ──H・E・A・V・E・N・・・ 』

 画面が切り替わり、液晶には無表情に"not understand"の文字が吐き出される。苦笑しながら首をふり、仕事に戻ろうとして、思い出したように男は最後にもう一度だけキーボードを叩き、Enterキーを押した。

『 ──H・E・L・L・・・ 』

 今度も何も起こらなかった。

 やれやれとのびをして、コーヒーをいれ直すために立ち上がる。その背後で、唐突にデスクの画面が真っ暗になった。と同時に液晶から凄まじい勢いで黒い火柱が噴き出し、かぎ爪の生えた巨大な毛むくじゃらの腕の形をとると、男の背広の襟をひっつかみ、あっという間に男を中へ引きずりこんだ。



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