第43期 #14

二億五千万年のバースディ

アンモナイト【ammonite】アンモナイト目の軟体動物の総称。殻は直径数センチから約二メートル。内部は多くの隔壁で仕切られ、オウムガイに似る。古生代デボン紀に出現、中生代の海中で大繁栄し、中生代末に絶滅。(『大辞泉』より)

「で、それが何でここにあるんだ?」
 悟は分厚い辞書を抱えた恵に尋ねる。向かい合う二人の間の小さな卓袱台に、直径五十センチほどの巨大な巻貝が乗っていた。ご丁寧に海草まで添えられて。
「魚八のおばあちゃんがおまけしてくれたの」
「因業婆の店はやめろって言ったろ?」
「子どもの頃から優しかったじゃない」
 悪ガキだった悟と違って、大人しかった恵は魚八の隠居婆に何かと構われていた。だがこの数年少し雲行きが怪しい。恵はしきりに鰻やらすっぽんやら貰わされて、隣同士だった家を出て一人暮らしの悟のアパートまで、わざわざそれを届けに来るのだ。婆もこいつも何考えてんだか。
「いい匂いね」
 恵はうっとり目を閉じる。生息が確認されれば間違いなく世紀の一大発見となるだろう古代生物は、ところどころ焦げて潮の香りの湯気を噴いていた。立派な姿焼きだった。それも海草サラダつきだ。
「あたしたち、もう二十五よね」
 今日が悟、明日が恵。何の因果か誕生日まで隣同士だ。
「四半世紀もずっと一緒にいるのよ。長いと思わない?」
 悟は巻貝の渦を目で辿る。幼馴染、隣同士。今時そんな甘々の恋愛ドラマでいいのかよ。
「生きた化石だな」
 つぶやいた悟の言葉が卓上の貝に固く反射した。悟は恵の顔を見られなかった。
「やっぱり驚いちゃったかな」
 うつむく恵の瞼の上に二つの拳が小さな二つの渦巻を作った。
 そらした悟の視線の先で壁時計の秒針がぐるり一回りする。それだけの時間だが、四半世紀を巻き戻すには十分だった。
 お手上げだ。悟は諦めた。昔、こんな風に恵を泣かさないって誓っちまったのは自分だった。
「わかったよ。生きた化石でも何でもいいさ」
 恵が顔を上げた。笑っていた。ウソ泣きだ。くそ、騙された。
「待って。誕生日らしくしなきゃ」
 恵は卓袱台の下からいそいそと螺旋模様の蝋燭を取り出し、渦巻の殻に二十五本灯した。太古の海に繁栄した先祖たちは、まさか二億五千万年後の末裔がこんな目に逢うなんて思いもしなかっただろう。
「ねえ、切るの手伝ってよ」
 悟はナイフを弾力のある身に当てた。恵はそっと手を添えて「では、入刀!」って満面の笑み。あのなあ。



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