第43期 #12

港町では

 行ったり来たりする波に洗われる脚でここに立って、波の引いた後のぴちゃぴちゃになった砂の表面を撫ぜる。表面張力というのか吸いついて来るのが何とも言えず好い。……ここは大地と海の境界だろう。波の往復運動は大地と海のセックスか。なるほど、だから波打ち際は心地良いのだろうか。波を萎えさせる月はママかな。
 青くくすんではいるがまだ昼間だ。海に面した床屋の回転看板を目指す。浜辺の町並みは目一杯水を湛えたコップみたいに輪郭が崩れてしまいそうだ。一艘だけ残って繋留された漁船が海とこの町との関係を繋いでいるのか。私も今床屋と何かとの関係を繋ぐためにドアを引く。寒いですね、明日の明け方は雪になるそうですよ、海も冷たかったでしょう、ご旅行ですか、お一人で、頭ですか顔ですか。クリームをもこもこと載せられ、両腕は覆いの下にあり、首をがら空きにして、剃刀を手にした男に自分を託す。顔を滑って行くつやつやとした輪郭の崩れる気色のない銀色は、操る者が操ると刃物である事を奪われるのだなあ。黒く細かな針(ひげ)を呑み込んだクリームは掬われ、湯気を噴くタオルで今度ばかりは跡形もなく消え、倒れていた背凭れが戻り、目を開いて鏡に映る自分とその周りを一遍に見やると、ここは砂漠のど真ん中かも知れず、その気分にしばらく浸っていたくてぼうっとするが、そんな事は長続きしない。私は未だに裸足で、空っぽの靴がその近くに揃えて置いてあり、顔はぽかぽかとしているが、丸みを帯びた日差しはガラスを抜ける力もなく、外気はドアの下を潜れるくらいには冷たい。ここは浜辺の理髪店なのだ。
 電車内に一組の男女が、がら空きなのだから座ればいいのに立ったまま二人して右に流れて行く景色を眺めている。学生服姿の二人は互いに見るともなく見つめたり、話しかけるともなく言葉を発したり、黙るともなく動いたりしている。吊革を持ち替える腕。揺れるスカート。交差される脚。電車の揺れに負ける時の踏ん張り……。二人の学生が生み出すあらゆるものが強く意味を放っている事に私は惹かれる。この二人だけで綺麗に閉じている。
 女が赤い傘を差して立っている。この雨が雪に変わるのだな。出迎えた妻に……とでも書き出せばこの話は閉じて行くのだろうが、あの二人には遠く及ばないし、私に妻があった例もない。この話がここで終わってしまうにしても、私は今駅前のロータリーで雨に打たれているのだ。



Copyright © 2006 三浦 / 編集: 短編