第42期 #19

約束

 姉妹の家の客間には炎の形の蛍光灯がちらちら光る滑稽な暖炉の模型があった。けれどその赤い光は格式ばった和室よりもなぜか僕を和ませ、懐かしいような気持ちにすらさせた。
「……なのに松井石根は絞首刑になったんですよ。東京裁判史観からの脱却なしに僕たちの独立はないし、自主憲法なしに国を守ることはできませんよ」
 姉妹は行儀よく座って僕の湯飲みが空になるとすぐにお代わりを注いでくれた。
「里慈さん、あなたには興味のない話だったね」
「そんなことありませんよ」
 里慈の頬がやや赤らんでさらに美しく見えた。彼女は腹を立てている様子だったがその理由はわからなかった。
「九条問題と改憲護憲は本来別なのに、あなたはあえてごっちゃにするのね。そうやってなし崩しに憲法の全面改定に持って行きたいのでしょう。国民主権、人権尊重、平和主義、どれをとっても変える必要がないのに。国民の過半は今の憲法を支持しているのに」
「さあね。いずれにせよ、僕ら一国民には大したことはできないですよ」
「私は次の選挙で立候補します」
 予想外の直球が飛んできて、僕は動揺してしまった。
「それはどうでしょう。この区の有力者はみんな僕の雇い主を支持しています。お父さんがやっていた会社――あなたは役員ですね――にも影響があるでしょう」
「私を脅すのね」
 笑みを浮かべ白い歯を剥いた里慈はますます女神のように輝いて見えた。
「あなた、前線に派遣された二等兵さん、自主憲法の自主って誰のことなの? 歴史を見れば、あなたの純朴な自己犠牲こそ権力者の最良の食料だとわかるでしょう? あなたは使い捨てられるわよ。あなたは必ず起こる次の疑獄事件で自殺を装って殺される側の人間よ。目を覚ましなさい」
「僕はただ……」
「そちら側にいたいならどうぞ。憲法はあなた方から私たちを守るためにあるのよ。あなた方は私たちを再び支配し古い考えに縛り付けたいと本気で願ってる。でもね、私たちのほうが強いし数も多い。私の味方は、日本にいる、欧米にもアジアにもたくさんいる、民主主義を信じる極普通の人たちです!」
 里慈は憤然として部屋を出て行った。気まずくなった僕を美潮が家の外まで見送ってくれた。すでに日が落ちていた。僕は優しい美潮を愛していることに急に気付いて抱き寄せた。
「あなたを守ります。約束します」
 美潮が立ち去った後も僕はまだ佇んでいた。やがて傍らの門灯が消え、全てが闇に閉ざされた。



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