第40期 #25

割る

 ガラスを割るように頼まれる。

 お洒落をし、弟から取り上げたバットを持って家を出た。街を貫く大通りを歩き続ける。スカーフを巻いた白人女性とすれ違う。
「ありがとうな」
 恋人が言う。手にはあたしが報酬を見越して買ってやった沢山の書物を持っている。
「こんなに沢山、ありがとうな。でも良いのか? こんなに貰ってしまって。まだ報酬が出る前からこんなに貰ってしまって」
「良いのよ」
「そうか。しかし本当にありがとう。いやあ、凄いなあ。本当に凄いよ。読み切れないくらいの量だよ」
 恋人は本を読みながら呟く。
「本当に読み切れないくらいの量だ」
 それにしてもとても寒い道だ。皆が色とりどりの電気ストーブを持ち寄って暖めようとしているけれど全く思うようにいかない。
 昔世話になった社長の部屋のガラスを尋ねて割らせて貰い、幼なじみの家のガラスを割らせて貰い、駅長に頼み込んで駅のガラスを割らせて貰う。道の先には朝日が昇っていく。そして朝日が昇るよりも速く、風が強く吹いている。風は凄まじく、全てを吹き飛ばしていく。電信柱が折れ、花園が燃え上がり、ガラス張りの建物が目の前でバラバラに砕け、崩れ落ちていく。目の前に先程の女性のスカーフがふわりと舞い降りて来た。あたしは振り返る。風はいよいよ強く吹く。女の子達のスカートが舞い上がり、白いパンツが眩しいほど露わになっていた。女の子達はスカート片手で押さえ、笑いながら向こうへ歩き去っていく。
 あたし達は道の終わり、街の外れに辿り着いた。そこにはガラスの壁が立っている。街で一番大きな建物は駅舎の三階建てであるが、このガラスの壁はそれよりも遙かに高い。何処までも呆れるほど高く伸びて居ていて、見上げても見上げても切りがない。あたしはバットを持ち上げ、叩きつける。がしゃあん、と音を立てて、ガラスはあっけなく砕け散った。あたしは空を見上げる。
 きらきらとしたガラスの破片が、際限なくいつまでもいつまでも振ってくる。
「綺麗なもんだな」
「うん」
「本当に、綺麗なもんだ」
 ガラスの向こうは草原になっていた。あたし達は歩き続ける。小川のほとりには大きなイーゼルがあり、描きかけのキャンバスが架かっていた。
「お前達は何処へ行くんだ」
 絵を描いていたのは老人だった。彼は大きな天使の絵を描きながらあたし達に尋ねる。
「ガラスを割りに」
「そうか」
 老人は再び天使を描き始める。あたし達は歩き続ける。



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