第40期 #21

森を抜ける、朗読する

 森が始まった。
 月明かりを期待して耳を澄ますと、激しい静けさに私の感覚は行き場を失った。この森には森の気配がなかった。月は木々に阻まれていた。
 遣る方ない静けさに気を取られなくなると、すぐ近くに椅子に腰掛けた二人連れを見つける事が出来た。テーブル中央のランタンに照らされ、男と少年が暗闇に浮かんでいる。見覚えがあった。二人共、私の家に泊まる宿代として一冊の本を置いて行った人達だ。内容も憶えている。男の本は王の姿で散った羊飼いの物語を紳士から聞かされる男の物語、少年の本は親しい友人に向けて自分の作品を朗読する少年の物語だ。私は話しかけるのを躊躇っていた。見るともなくランタンを見ている男に向けて、少年が小さな声で本を朗読しているのだ。
 居心地悪くなって顔をめぐらすと、灯りがぽつぽつと筋を引いていた。同じようなのがいるのだ。それもたくさん。あの静けさが戻って来た。朗読していると思い込んでいたが、少年から声は聞こえなかった。口だけが動いていた。男は見るともなくランタンを見ていた。
 灯りを頼りに先へ進む。次の灯りも、人は違うが、男はランタンを見、少年は朗読するように口を動かしていた。しばらく眺めていると、少年は始めのページに戻り再び口を動かし始めた。男は発条を巻いて貰えない人形みたいにじっとしていた。それからの灯りも、性別や年齢の違いはあったが、一方はぼんやりとした成人、一方は溌剌とした少年少女だった。本の題はどれも似通っていた。
 どこまでも森の闇に呑み込まれて行くランタンの道。二人連れはもう静けさの一部だ。ここには何もない。吐く息の白さも、歩く感触さえも。
 森が終わった。
 子を寝かしつける母のように大地を覆った雪を月が照らしている。丘の頂上に我が家が見えた。森に入って行く時の足跡は消えていた。
 扉を開けると見知らぬ人が迎えてくれた。持て成され、一息つく頃には空が白んで来た。
 私の手には本が握られていた。知らない本だった。
 『読書する、森に入る』
 「よかったら読み聞かせてもらえませんか」
 そう促されて、私は朗読を始めた。
 「『Aは読書していた。ここにある本は、通り掛かる人から一晩泊めてあげる代わりに譲ってもらっていた。』……」
 その人は私をじっと見つめていた。
 それを心強く感じ、朗読を続ける。その人が物語を追うのを確かめながら。私の声がその人に届いているのを意識しながら。



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