第40期 #12

観察者

 観察は素晴らしい。観察は面白い。観察は楽しい。観察は辛い。観察は厳しい。観察は悲しい。

 私は観察者だ。今日も街を徘徊し、観察を続ける。何を観察するかは重要ではない。観察しているという私の視点、並びにその最中の私の精神の状態こそが目的で、観察対象は二の次だ。さらにそれが面白ければ尚良い。

 愛してる、と言葉の端々に込める男女がいる。彼らはそれを口に出す事で自分は相手を愛していると錯覚し、本当は愛していない事に対して見てみぬふりをする。彼らは欲情の気配を漂わせながら、場末のホテル街へと消えていった。

 居酒屋でそこにいない上司に対してくだを巻く若い会社員。悪態を吐き、殴る仕草をし、隣にいる同じくらい泥酔した同僚と肩を組みながら辞めてやると連呼する。彼の上司が本当に彼に対して酷い扱いをしている、という可能性が無いでも無いが、実際の所彼の上司は彼以上に気苦労が絶えないのではなかろうか。彼の精神性の低さには目を覆わんばかりだ。

 ハシシュの煙や酒気に塗れながら踊る男女。熱狂と興奮が場と同時に彼ら自身をも支配し、目の前に快楽のブラインドをかける。このような場にはとんと縁が無かったが、一度くらいは体験しておくべきだったかもしれない。ここまで刹那的な空気が漂う場所も珍しいからだ。

 観察は本当に心躍る行為だが、その代償は決して安くは無かった。絶対的な観察者であり続けるという事は観察者以外にはなれないという事。つまり誰からも観察されず、あらゆる行為に対して影響を及ぼせないという事。私は世界の中にいながら世界から外れ続けなければならない。何故このような素敵な境遇になったかは、全く思い出せないが。

 私は観察者。誰からも観察されない観察者。神の視点の代償に、全てを放棄した観察者だ。私は全てを見続ける。私は全てを見通せる。私は全てに関わらぬ。私は誰にも関われぬ。

 今日もまた、心の裡で『見ているぞ!』と痛烈に叫びながら、私はあなたを観察する。



Copyright © 2005 / 編集: 短編