第4期 #11

ハロー、ミズ・フロレンタイン

 手紙が来た。
 差出人はパトリシア・フロレンタイン、二年前に神戸で知り合った留学生だ。おれはパティと呼んでいた。カナダの何とかいう非政府団体に属し、阪神・淡路大震災でのボランティア活動を研究していた。
 いつか二人で、夜景のきれいなラウンジでディナーをとったことがある。パティはそのとき、ぽつりとこんなことを言っていた。
「ワタシたちは、大いなる意志に生かされているの、そう思わない?」
「おれたちが普段気づかない内なる声が、その大いなる意志だとしたら、賛成だね」
 むろん彼女は、神のことを言いたかったのだ。
「日本人は、神をイメージできないのね」
 地下鉄サリン事件のこと、太平洋戦争のこと、信長の宗教弾圧のこと、エトセトラ、をパティは語った。
「農耕民族というのは君たちのようなイメージでの神は持たないんだ」
 おれは、眼下の夜景が突然のカタストロフィで崩れ落ち、業火に包まれる様を想像した。
「でも神はいるわ。それは分かるでしょう、この宇宙を創造した何者かはいる」
「宇宙はまだ創造されてさえいないのかも知れないぜ。何者かの夢の中におれたちはいるのかも」
 パティは大きく眼を瞠って、おれの顔を覗き込んだ。
「ファンタスティックね」
 その夜、おれはパティに言った、アイラブユーと。しかしパティは困ったように微笑んで、答えなかった。三ヵ月後、彼女は帰国した。
 そのパティから手紙が来た。

 ハロー、ケーシ。
 日本ではそろそろ紅葉の季節ね。アナタと見た瑞宝寺公園のカエデ、きれいだった。カナダの紅葉ももちろんダイナミックで美しいけれど、日本の紅葉にはまた違った美しさがある。いつかアナタが言ったような、誰かの夢の中のような美しさ。
 ところでワタシは今度、結婚するの。相手は日系人よ。カナダでキャンパスの講師をしている。アナタには、ゼヒそれを伝えたかった。伝えなければならないと思った。
 ケーシ、ワタシはやっぱり自分が大いなる意志に生かされているのだと思う。彼とのことでも、アナタとのことでも、そう思う。今度また日本に行く。会ってもらえる?

 おれは手紙を、スーツのポケットに戻した。パティ、おれはあのとき学生だった。いまは製薬会社のサラリーマンだ。もう夜景が炎上するイメージは見ない。結局のところ、この世界は天国じゃないけれど、地獄ってわけでもないんだ。おれも君に会いたい。
 ハロー、パティ。
 ハロー、ミズ・フロレンタイン。


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