第39期 #7

紺碧の釣鐘


 拳銃を頭に充てがいたくなる夜には、曹達水の底に沈む街の夢を見る。

 その日もそんな夜だった。棘のある鬱屈をハルシオンで中和して、あるかないかの意識の中でベッドに入った。気がつけば「街」の中にいた――輪郭のはっきりしない水増しした自意識を抱えて、最初からその街に住んでいたかの様な気安さでもって。
 歩き出す。大抵の夢がそうであるように理由は知れない。
 硝子の歩道、角砂糖のように白い家々、足を踏み出すたびに湧き上がる気泡――それを追って視線を上げ、仰ぐ空にはゆらゆらと揺れる不定形の月。あれは多分水面に映った照明なのだと思う。きっとこの街はソフトドリンクで満たされたグラスの底に建っていて、その外にはフランクなレストランの安い現実が広がっているのだ。
 どうでも良いと思う。痛いほど白い蛍光灯の光だって、曹達水に濾過されれば銀の胡粉に化ける。
 今はとても気分が良い。浮力で自重が減殺されているから体が軽い。
 現実の煩雑さと重力の拘束は良く似ているな、と呟いた。体は枷だ。もしも体が無くなれば、毎日こんな気分が味わえるのか。

 やがて路地裏を抜け、町の広場めいた所に出た。
 辺りを見回せばおとぎ話のような可愛らしいデザインの建物。その中でも最も目を引く大きな屋敷の長く伸びた尖塔の天辺に、白い服を着た少女がしがみついていた。
 少女は曹達水よりも比重が軽いらしく、空中に倒立して尖塔にしがみついている。もしもここで手を離せば、遥かな高みにある真っ青な水面へと「落ちて」行くのだろう。
 
「水面の向こうには何があるの?」

 彼女は僕にそう尋ねた。
 返答はしない。

「ねえ答えてよ、水面の向こうには、一体何があるのかしらね」

 少し考える――夢の外にあるべくはやはり現実だろう。しかし僕よりも重力の戒めから遠い彼女が、僕以上に現実に近い存在であるとは考えにくい。ついに片腕を尖塔から離した彼女は必死な表情をしているはずだが、光の加減か笑っているようにも見えた。
 僕はジャケットの中から当たり前のように拳銃を抜いて、残った彼女の左腕を狙う。
 狙いは外れた。心臓を打ち抜かれた少女は空中に赤い線を引きながら、無数の気泡を道連れに天へと召された。
 やれやれと呟いて僕は拳銃を捨てる。九百六十五グラムの鉄の塊を捨て去る事で、僕の比重は曹達水よりも軽くなった。僕はライトブルーの空を、少女の後を追ってどこまでも上っていく。



Copyright © 2005 サカヅキイヅミ / 編集: 短編