第39期 #5

Deep Forest

湿った風が吹く森の中、街も学校も知らない私がいる。
ここは、閉ざされた世界。鍵のかかった、無限の緑。

この小さな村を出て行った兄弟たちは、皆すっかり変わってしまった。もう私達のことは忘れたのか、滅多にここへは帰って来ない。
「街は、村での記憶を奪っていくんだよ。」村の婆たちは悲しい顔で言う。
「大丈夫、私はずっとここにいるよ。」婆たちの手を握って微笑んだ後、私、決まって胸が痛い。
うそ。だって本当は私も、街へ行ってみたい。

私は一人嘘を抱えて、うつむいて歩き出す。
もう見飽きた森の奥へ。それは、全てを包み込む森の奥。
突然耳のそばで、何かが囁く。恐ろしく優しいその声に、身震いした。

「ここにある、空気も、風も、水も、宝物。両手を広げて、さぁ、解き放って。」

慌てて見渡す辺りには、鳥たちの声と、実った果実。ただ無限に広がるこの空間。
私の中で、するすると絡まった糸はほどけていく。それが怖くて眼を閉じた。

さぁ、解き放って。
息を吸い込み、走り出す。木々を掻き分けながら、身体中が感じるもの。
この森の息吹、街には決して吹かない風、美しく香る緑。頬が冷たいのは、自慢の亜麻色の瞳から溢れた涙を、風が撫でるから。
ここが好き。解き放てば、心からそう思える。

遠くから漂ってきた、夕飯のまろやかな匂い。もうすぐ日が暮れる、村に帰ろう。



Copyright © 2005 Nana.S / 編集: 短編