第38期 #2

ポスタル・レトロ

 ぎいぃがたん、と錆びついたチェーンの音が坂道に響いた。聞き慣れた悲鳴のようなブレーキ音がだんだんと近づいてくる。
 由紀は電動ベットで半身を起こし、そのままの姿勢で窓を開けた。少しじっとりとした風が、部屋のなかに流れこみ、強い日差しが青白い肌に反射した。つけっぱなしのテレビが、まだまだ暑さは続くでしょう、と予報しているのを聞いて、ひとりでこくん、とうなずいた。
 ぎいぃがたん。
 いまにも壊れてしまいそうな自転車の音が、家の前で止まった。
 ボサボサ頭の青年が勢いよく自転車から降り、その反動を利用して錆びたスタンドを力いっぱい蹴りつけているのが見える。
 彼は前かごに入れていた郵便鞄を肩にさげると、郵便受けを無視して由紀のいる窓際まで庭を通ってやって来た。
「はい、手紙」
 小麦色の腕が手紙の束を鞄から取り出し、由紀の手のひらにそっと置いた。だが、いろんな色の封筒やハガキは、すぐに由紀の手からこぼれ落ちた。
「あいかわらず、すごい数の手紙だね」
「これくらいしかすることないから」
 こぼれた手紙を拾おうとする彼の手を制しながら、由紀は寂しそうに微笑んだ。
「…それより、あの自転車なんとかならないの?」
「自転車? …自転車がどうかした?」
 彼は玄関先の錆びた自転車を眺めながら、首をかしげた。
「うるさいよ、ぎいぎい言ってるし」
「…昨日、油差したばっかりなんだけど」
「そういう問題じゃないと思う。バイクに乗ったら?」
 由紀の言葉に、彼はボサボサ頭をかきながら、応えた。
「免許持ってないんだ。第一、あの自転車気に入ってるし」
「そんなだと、出世できないよ」
「余計なお世話だよ。そんなこと言ってると、手紙持ってこないから」
「そんなぁ、職務怠慢だよ!」
 由紀は口を尖らせた。
 それから、しばらくして郵政公社が民営化され、ボサボサ頭の彼は来なくなった。聞いた話だと、自転車しか乗れない彼はリストラされたのだという。
 ぎいぃがたん。
 錆びたチェーンに、甲高いブレーキ音。
「はい、手紙…って、メール便だったっけ?」
 ボサボサ頭の彼は、宅急便の制服を着ていた。
「そうだよ、うちはずっとメール便」
 由紀は微笑みながら、うそぶいた。
「この坂、自転車で上がってくるの大変なんだけど…」
「だったら、バイクに乗ったら?」
「だから、免許ないんだって」
「そんなの、あたしは知らない」
 由紀がすました顔で、そっぽをむくと彼は頬を膨らませた。



Copyright © 2005 八海宵一 / 編集: 短編