第38期 #3

高岩斬り

この男とであわなかったのは宮本武蔵にとっては幸いだった。天才剣士峰八郎と剣を交えていたら武蔵といえどもその輝かしい戦歴に黒星をつけていたかもしれない。八郎のあみだした高岩斬りとはどんな剣法か。ちょうどいま峠の下で彼が試合を行うところなので拝見することにしよう。
 あ、いや、試合はもう終わっていた。あざやかな高岩斬りによって八郎の相手は股間から血を流して息絶えていた。そう、高岩斬りとは相手の股間を、正確にいえば男の急所を、はっきりいってしまえば睾丸を切断する剣技のことだった。剣の修行をはじめたときに八郎は、相手のどこを攻めれば確実に勝利を得られるかを真剣に考えた。男にはだれでも股の間を狙われれば致命的な、睾丸というものをぶらさげている。それをあやまたず斬りさえすれば、勝利は確実に思えた。それを悟ったときから毎日、紐にたらした小石を木刀で打ちつける稽古をはじめた。拳大の石からじょじょに小さくしていきしまいには豆粒ほどの小石を狂いなくとらえることができるようになった。それからは連戦連勝、八郎の前に睾丸を斬られた兵法者の屍が累々と横たわるようになった。たちまち彼の名は兵法修行者の間でひろまり、彼を倒して名声をあげんものと名乗りをあげる挑戦者は絶える事がなかった。          
 たったいま試合を終えたばかりの八郎の前に、はやくも新たな対戦相手が立ちはだかった。さすがに一息いれたいところの彼だったが、相手が小柄の、どことなくひ弱な感じの剣士だったので、早くかたをつけてしまえとばかり、向かいあって剣を抜くなりいきなり高岩斬りをくりだした。まちがいなくその剣先は相手の股間を切り裂いたと八郎は確信した。その直後、彼の額に相手のふりおろした真剣がふかぶかとくいこんでいた。
「なぜだ・・・」
 うすれゆく意識の中で八郎は、たしかに断ち切ったはずの相手の股間に目をやった。そして切り裂かれた袴のその場所に、あるべきものがないのを知った。
・・・不覚、女剣士であったか! それが彼の最期の言葉だった。
 後世の剣士列伝に峰八郎のことが語られていないのは、彼のあみだした剣法のその品のなさにあったのかもしれない。睾丸を高岩の当て字にしたのは、せめてものたしなみというものか。



Copyright © 2005 印田あみ / 編集: 短編