第38期 #12
電話が鳴った。部屋の電気もつけずに夜空を眺めていた俺は、月明かりに照らされて光っていた受話器をとった。
『夜代月光』
日本人の名前にも色々あるけど、自分の名前ほど特殊な人に会ったことはなかった。俺は「やしろつばさ」。『月光』なんてつけたもんだから、幼稚園、小学校の名簿の中じゃ一番の有名人だった。この字を見て「つばさ」なんて読めたやつもいない。
そんな俺の名前が一番じゃなくなったのが、中学校の名簿だった。いや、一番には変わりなかったのかもしれない。けど、少し違った。…つまり、セットで一番になったんだ。
『夜太星光』
この名前が名簿の俺の下の欄に入ってきた。「やたいほたる」と読むらしい。まぁ普通「ほたる」とは読めないけど、「つばさ」よりは、ましか。
名前順に座ってるわけだから、後ろの席のやつか、と思った俺は、何気なく振り返った。そこで俺に気付き微笑んだのは、まさに『星』の使者だった。――…一目惚れだった。
「よろしくね」
中学3年の3月。俺はとうとう告白した。名前のせいで、いや、名前のお陰で、周りからひやかされる事が多かった俺たちだったが、実際は付き合ってはいなかった。眼をつむって頭を下げる俺に、
「よろしくね」
という声。眼を真ん丸くして顔を上げた俺に、星の使者はあの時と同じように微笑んだ。
付き合って3年目の記念日に、星の使者は泣いた。泣き顔を見たのは初めてじゃない。感動的な映画を見た時だって、二人の大好きなお笑い番組を見た時だって泣いていたから。でも、悲しそうな泣き顔は、喧嘩したトキ以来だった。最近元気がないのには気付いていたのに、結局俺は何も出来なかった。次の日の夜、星の使者は、旅立った。遠い国へ。俺の知らない遠い国へ。
「ちょっと、つばさ、聞いてる?」
受話器から聞こえる高い声。
「聞いて、」
るよ、と答えようとした言葉を高い声が遮る。
「そだ!今夜はそっちも晴れだよね」
「あぁ」
「月、見える?」
「あぁ、星もキレイに見えるよ」
今夜の月はね、と楽しそうに話しだした声を今度は俺が遮る。
「なぁ、ほたる」
「…何?」
話を遮られて少し声を曇らせたのが伝わってきたが、俺は気にせず言葉を続けた。
「今年の夏、こっちで結婚すっか」
静かな月明かりのキレイな夜。自分の声が部屋と受話器の向こうで響いた。しばらくの沈黙。
今日はあの日から8年目の記念日。星の使者は、泣かずに、笑った。
「よろしくね」