第37期 #14

平穏

日が落ち、夕方から夜の雰囲気が漂いだした大阪の街。
鈴木は会社の同僚の平井と、一軒の居酒屋に入った。
残業が重なった時は、行きつけの居酒屋でいっぱいやるのが、恒例になっていた。
「……でもよぉ、高田部長のやろう、俺を絶対嫌ってるぜ」
ビールをぐいと飲み、平井はから揚げを摘んだ。
「部長と性格の合う奴、会わない奴の差がはっきりしてるよな」
「別に、好かれようとは思わないけど、仕事なんだからよ。もっと俺を信頼したっていいんじゃないか?」
「まあ、くすぶってるままじゃそう思うよな」
「俺たちってさ、このまま年をとっても同じなんだろうか?この周りの奴らだってそうさ。将来の不安を抱いて生きている」
平井は、しんみりと周りを見渡した。
周りでは、たわいのない会話で笑いあっている奴ら、黙々と食べ物を口に運んでる奴、いろいろな客達が酒を飲んでいる。
「お前だって結婚して子供までいるんだろ? 将来の不安は独身の俺よりあるんじゃないのか?」
「そりゃな、仕事で疲れて帰ってみれば、子供の事、仕事の事を、嫁に突っつかれるしな」
「いろいろ考えてるんだけどよ。結局、普段の生活から、一歩も外に出れないんだよな」
平井は一気にビールを飲み干すと、お代わりを注文した。
「結局の所は今の生活から何も出来ずに、年を取っていくのかもな。ビールの泡みたいに、平穏から無数に湧き出す可能性ってのを解っていながら、それに気づかずにやり過ごしていく」
「はじけるのが解ってるからな」
「でもたまに、変化する泡がある。それはグラスの水滴になって、外の世界にでていく」
鈴木は残りのビールを飲み干した。
お代わりのビールがテーブルに届き、平井は一気に半分くらいまで飲み干した。
「でもよ、水滴はこうやって簡単にふき取られちまうんじゃないのか?」
「それを恐れ、一歩も外に出れないんだな」
「違いない。不安を恐れながら、生きていくしかないのかもな。不安がない世界にいきたいものだ」

数日後、鈴木が病院に運び込まれたと聞いて、平井は病院へと急いだ。
病室に着くと、鈴木の嫁、子供の見守る中、鈴木は、機械に囲まれたベッドの上にいた。
「脳死だそうです……。昨日までは、あんなに元気だったのに……」
鈴木の嫁は、涙混じりに告げた。
「これがお前の、行きたかった世界かよ……そんな薄暗い中が、お前の……」
平井の苦渋満ちた顔に、涙がつたった。



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