第36期 #5

パーク・アンド・ライド

 休みの朝から憂鬱にさせるのに十分なベルが響いた。初めは無視を決めこもうとしたものの、ベルは止むどころか徐徐に間隔を短くし音すら大きくなってきた。重たい体を起き上げ玄関扉を開けると若い男がそこにいた。
「実は私、こういうものでして」男は扉が開くなり言い始め、おもむろに名刺を取りだし、私に差し出した。「アル財団 丸川山門」と記されていた。出された名刺に多少の戸惑いを見せると、「どうぞ」と男は促した。断る勇気もなく手に取った。
 セールスだな、いくら世間知らずな私でも男の格好から推測できた。清潔さを感じさせる短い髪、スーツは黒の三釦だった。営業用の笑顔だろうか、終始温和な表情だ。
 私は何を売りつけられようと断る決意を固めていた。社会に上手く溶け込んでいる者に対する反感や嫉妬もあった。
「能亜様にですね、お話したいことがありまして、本日伺いました」
 郵便受けでも覗いたのだろう。男は私の名前を口にした。名前を呼ばれるとすっかり油断をしてしまう。即座に断ろうという意気込みは、いとも簡単に引っ繰り返ってしまった。財団のマニュアルだろうか。
「本日は能亜様にご紹介したいものがあるのです」
 はぁ、と間抜けな返事がつい口を出た。
「島なんです」男は言った。「無人島なんですが、あ、大きさはK区の半分ほどなんですがね。ぜひ、能亜様にと」
 島の押し売りなど初耳だった。島など買えるわけがない。私は断る機会を得て俄然生気が湧いてきた。すると、男は見透かしたように話し始めた。
「代金は小屋の使用料だけでいいんです。家賃より格安ですよ」
 と、パンフレットを広げて見せた。島で栽培した物を財団が買い取る形で収入が得られるとあった。

 私は人間関係に嫌気が差したこの社会からの離脱を決意した。仕事をせずに生活できるのも魅力的だった。
 島は草木が溢れていた。渡された地図を頼りに小屋に向かうと早速財団からの厚味のある封筒があった。今までに見たことのない枚数の札束があった。私は急速な不安に襲われた。この島で金を持って一体何になるんだ、と。店も何もないこの島で意味があるはずない。札束はここではただの紙切れなのだ。
 大急ぎで来た道を戻ったが、船は遥か彼方で、視界から段々と消えていく陰影をただ見送るだけとなった。
 握り締めていた札束に気付いた。微かな繋がりは乗船券にもなりそうにはなかった。が、それを捨てる勇気もなかった。



Copyright © 2005 朝倉海人 / 編集: 短編