第36期 #3

渇水の夏

 水を貯めたポリタンクを運んでいると、突然後ろから声がした。
「お父さん何してるの?」
「今夜から断水だろ? 飲み水の確保しておかなきゃ困るだろうが」
 妻一人だけで大量の水を貯め置くのは手間だろうと思い、退社したあと直行で帰ってきたが、まさか娘までこんなに早く帰ってくるとは思ってもいなかった。
「いい心がけね」
「お前こそ今日は早いじゃないか」
「当たり前じゃない。このクソ暑い日にシャワーも浴びないで、次の日、会社に行けるわけないでしょ」
 社会人になっばかりの娘は、職場の付き合いで酔って帰ってくることも多かったが、ここ最近は減ったようだ。
「せっかく帰ってきたんだから少し手伝っていくか?」
 文字通り流れる汗が地に落ちる。
「お母さん孝行する絶好の機会じゃない。一人で頑張りなよ」
 冷たい言葉とポリタンクを残して娘は家の中へと入っていった。
 家族全員が風呂をあがり、残り湯に細い水道の水を貯めると断水の時刻になっていた。どんなに蛇口をひねっても水は一滴も落ちてこない。
 クーラーの効いた居間に戻ると、妻と娘がくつろいでいた。
「お父さん、お疲れ。ビールでも飲む?」
「じゃあ、貰おうか」
 娘にお酌をしてもらい、冷えたビールが胃まで落ちるのを感じるとやっと人心地つく。
 この地域では水不足と言われない夏はない。だから、どの家庭でも飲料水の確保はある程度してあるはずだ。勿論、ビールも飲料に変わりはない。
「毎年水不足って言うけど、今年は特に酷いわね」
「そうだね。下手に飲み会なんて参加してると断水の時間までに帰れないかもしれないじゃない。この時期にお風呂入れないのはキツイでしょ? それ理由に断る人が多いから、うちの職場しばらく飲み会ないんだよ」
 娘が笑う。
「早く帰ってきたってやることないし寝るしかないかな」
「健康的な生活じゃないか。なんなら夜は断水することにすれば、皆が早寝早起の生活に自然となるんじゃないのか」
「やだ、お父さんったら。勘弁してよ」
 私は至って真面目だった。
 節水にもなるし、子供の深夜徘徊などの心配もない、必然的に家族全員揃う夜が増えるかもしれない。案外いいプランじゃないのだろうか、と自分で思った。
「毎年断水になるようなら、お父さんとお母さんがいつでも避難できるように、私が結婚する相手は県外の人にしなくちゃいけないわね」
 全く嬉しくない娘の未来予想図を聞いて、私は咄嗟に反論が出来なかった。



Copyright © 2005 五月決算 / 編集: 短編