第36期 #18
脇腹を刺された。
脇腹を刺してやったはずなのに。
ビルの屋上で目が覚める。
目に映ったのは青い空が全て。
とてもうるさいな、と思う。どうしてだろう、青い空には白い雲さえ見えないのに。ジェット機が飛んで行く。無音。あたしは耳に手をやった。つるつるとした感触が返ってくる。ヘッドフォンがあたしの耳に突っ込まれていた。うるさいわけだった。ジェット機の音が聞こえないわけだった。大音量で流れてくるのは古いロックだった。まだブルースとかロカビリーとかとの区別が明確では無い頃の。ゴー、ゴー。ゴージョニゴー、ゴー。
まさかジョニー・B・グッドとは。
あたしはイヤホンを外す。
一体誰がこんなものを。
「やあ、こんにちは」
隣りに男が居た。
「まさかジョニー・B・グッドとはね」
「このウォークマン、あんたの?」
「違うよ」
「そう」
「痛そうだね」
男はあたしの脇腹を指差した。
「血が沢山出ているよ」
「そうね。出てる」
あたしは脇腹に手をやった。ナイフはウエストを深く貫いていた。痛い。
「あなたは楽しそうだわ」
「俺かい?」
「ええ。キスマークが、ついているもの」
「キスマーク? 俺にかい?」
「ええ」
「何処?」
「ほっぺたに」
「キスマークか」
男は頬に手をやる。
「キスをしたはずだったんだがな。キスをした覚えはあるが、された覚えは無いんだが」
頭上ではジェット機が再び現れ、通り過ぎて行く。
無音。
あたしは達は一緒にビルを降りた。
あたしは一度だけ後を振り向いた。ビルは灰色の、何の特徴もない雑居ビルだった。
男とはおでん屋の前で別れた。
街はそういう時間帯らしく、大通りに出ても誰も居なかった。無音のまま、信号機のライトだけが移り変わっていった。
街には様々なものがあった。カラスが空を飛んでいた。信号の押しボタンをあたしは押す。途端に沢山の人々が何処からか現れて、あたしと共に信号待ちをする。
人々と共に、するすると街中に鉄格子が伸びていった。街には様々なものがある。そしてそれにも関わらず、鉄格子もある。
あたしは腰に手をやった。ナイフだと思っていたものは、プラスチックの定規だった。
あたしは血まみれのそれを鉄格子にくっつけた。鉄格子の幅は60センチ。良かった。大丈夫だ。あたしはウエストが58センチだから、ダイエットしたお陰で58センチだから、この向こう側へ行ける。
鉄格子の向こう側で、信号がもうすぐ青へと変わる。