第35期 #9

妄想世界

菜の花の枯れカスが、カサカサ擦れて音を立てた。誰もが忘れてしまった春の名残。底抜けした空が放つ優しい風が、悲しき亡骸をそっと包みこんだのである。
「コノミちゃん可愛いんだよなぁ。お前にわかるかぁ!?」
サッカーの汗を拭いながら、恍惚として一樹は言った。
「おまえ、まだあのテのゲームやってんの?」
僕は見下した目で一樹を見た。
そう、彼は二年ほど前から、恋愛シュミレーションゲームにのめりこんでいるのだ。
「お前サッカーは超人的なのになぁ。リアルでも彼女つくれよ。もったいないよ。」
僕は使われなくなった花壇に腰かけて、埃まみれのスパイクを脱ぎながら言った。
「何で?リアルじゃあ、だれかれを好きになったって、必ず報われるわけじゃないじゃん。それに、愛、愛って意味わかんねぇえんだよ、俺は。大体何だよ、愛って。」
「誰かを好きになることじゃないのか。」
太陽を背に、一樹は大きな影法師のように見えた。
「それは恋だろ?一方的なものじゃあなくて、双方的なものってこの世には存在しない気がするんだよなぁ。」
「でも、潤子はきっと僕のことを好きだし、僕も彼女が好きだ!」
花壇に腰掛けている僕の影と一樹の影が重なった。
「潤子!?誰だそれ??」
冷たい何かが僕の背中をゆっくり撫でてから、心臓をそっと、しかしぎゅっと強く潰した。
「は??今のサッカー部のマネージャーだろ。――――いや、中学のときのだったかな?あれ??――――あれ?」
意味不明な返答に一樹はどんな顔をしただろうか。顔を上げる勇気は無かった。
それから僕は、靴紐が絡まった振りをして、随分長い間俯いていた。
気付くと僕は、グラウンドの隅に取り残されていた。
顔を上げると、カラカラに枯れた菜の花の残骸が視界の隅に飛び込んできた。
僕は冷や汗をかいていた。気付いてしまったのだ。本来、潤子は布団の中の妄想世界の住人だったことに。
妄想と現実の混濁。恋愛ゲームに興じる一樹をあざ笑っていた自分がまるで滑稽である。
擦りきれているのは僕も同じだった。
愛を知らないのは僕も・・・・・
「待てよ!!」
愛を知らないのはこの世界だって同じなのかもしれない。
幸せな家庭も、恋人も。
全ては現実にすり替わった一方的な妄想なのかもしれない。
ふらつきながらの家路の途中、ふと、いつもカップル達がたむろする公園の傍を通り過ぎた。
そこには虚空に向かって恍惚と話しかける、連れのいない男女が疎らにベンチに座っていた。


Copyright © 2005 沙海 綾彦 / 編集: 短編