第35期 #3
ありったけの色のちがうみどりを、折り紙に小さく千切ってばらまいたような葉々が、落ちつかなくなる清んだ風のゆらめきにのせた薫りのなかに浮かんでいる。からだをやや少しおこすと焦点のきまらない先に、ほんとうは赤く紅なのに白くみえる、さくらの小さな5枚の花びらには、青い空からくっきりとしたふちどりがある。ひとつ、そしてまたひとつと、やがて歩みに合わせて花たちが、離れるにつれて重なり集まるけれど、ぼんやりと、そのふちどりをどこまでも見失うことなく見別けることができる。それをとおして見あげた空から、桜もちと草もちがあまって落ちてくるかと、ポカンとあけた口元がはずかしく、少し息を切らしてあがってきた坂道をふりかえり、ふと、遠く街までつづく丘の向こうに、高架を滑るように走る電車がかわいらしくみえる。それにしても、見あげるたびにしずかに立つ姿に見惚れてしまう。
その丘のなだらかにつづく坂の途中には、いつもいく図書館の近くに、新緑のにぎやぐ五月になってもなお咲きつなぐ一本のこの大きなさくらの樹があった。
まだ子供だった頃、ここで知り合った子と、この樹を見ながらたくさんお話しをした。
「さくらの歌、知ってる?」
「どういう歌?」
「白い布が衣替えではためいて、さくらの花が山に広がっているみたいだな、ああ春が終わって夏になるという歌」
「それ、さくらなの? ちきゅうがあたたかく、なってるからかな……」
「さあね。でも、この樹のことだと思って」
あたたかい陽ざしをうけて、かがやく澄んだひとみで見あげているから、この樹の白やら空の青がその横顔にもおりてきた気がする。むかしの人もこうやって、さくらをながめていたのかなと想う。
今になって、歌のつづきを知る。
「そうやって咲き継げては、この春に色とり取りに咲く花たちを、ひと花ごとに語り伝えてきたのかな。こんな話もあなたが散ると、できる相手さえいなくなる」
あの時、何かを約束したような気がするのに忘れていて、それを思い出せないのが悔しくて、しらべ物をしていると見つけてた。するとあざやかに、あの子の声がよみがえってきて、それに誘われるようにして、ここでさくらを見あげている。この丘の上から、おだやかな電車の動きを見つめれば失ったなにかを思いだせる気がして、さわやかな晩春の風がその気持ちを青い空へと連れていってくれると、花びらが舞い、そしてまた夏がくるのだなとおもう。