第34期 #27

点滴

 若葉寒に加えていろいろな疲れがたまっていたらしく、倒れてしまった。
 かつぎ込まれた近所の医院で、点滴一本打ってもらったら、忽ちよくなった。
 寝台に横になって、左腕に針を刺されて、天井を見上げる。鉤にぶら下がった透明な袋から、細い管が伸びて、自分の左腕までつながっている。
 袋は部厚そうなビニイルで、水が一ぱい這入って膨れている。横腹になにか字が書いてあるけれど、一緒になって膨らがって、大きく歪んでいるから、こちらからは読めない。
 管の半ばに小さな空間があって、その中で絶えず滴が落ちている。一秒に一滴よりも少し多そうだ。管の中身はぜんぜん動いていないように見えるけれども、この一滴ぶんずつが、まちがいなく自分の身体に注ぎ込まれているのだろう。
 袋を見上げながら、色々なことを考えた。
 ついこの間、尼崎で、電車が脱線して、マンションに突っ込むという事故があった。
 地下に閉じ込められた人に、医師がもぐり込んでいって点滴をした。重いもので身体が押しつぶされていた人をいきなり助け出すと、その間に体内でつくられていた毒が急に回って、死んでしまう。
 それを中和するために、点滴を打つ。だから何か、特別な薬が入っていただろう。いま打たれているただのブドウ糖とは違うかも知れないけれど、やっぱり同じようにこうして一滴ずつ落ちていたに違いない。暗い瓦礫の下で、その滴は見えただろうか。
 一方、その大事故の後、鉄道会社の社長が、何度も繰り返しテレビの画面に映った。
 見るたびに頭を下げている。遺族に詰め寄られ、記者どもに罵られて、蒼白な顔色である。
 不始末はそれとしても、あれでは身体が保たないだろう。心労のあまり倒れて、点滴を打たれたことがあっても、不思議ではない。彼の場合はおそらく、安定剤も入れられたと思う。
 どんな人にも、点滴の力はあまねく及ぶ。基督の福音、弥陀の誓願の如くである。言い替えれば、それは人の生命の平等ということにちがいない。
 先生がやって来て、お、良くなったな、と云った。
――さっきより顔色ももどった。
――お陰さまで、どうやら直ったみたいです。
――医者はやっぱり……?
――……森先生、ですね。
――「森医者」だ、「森医者」。
 母親の同級生なので、笑いながらこんな冗談を云う。回復したとは云っても、まだ薄氷の上に怖々立っているような気分だし、勘弁してくれないかなあと思う。



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