第34期 #25

てのひら

 弟の爪が伸びているのが見えた。彼女がいるのだから爪くらいちゃんとしろよと思う。私は戸棚から爪切りを取り出し、放り投げる。受け取った弟は、姉の私に向かって面倒くさそうに苦笑した。


 彼も私も黒い服を着ていた。私が小六で、彼が小四のときだった。お葬式だった。亡くなったのは私の叔父で、そして彼の父親だった。事故だった。
 叔父は人付き合いが苦手な、けれど気の良いおじさんだった。私は大人びた子供で、何かささくれ立っていた覚えがある。だからか変わり者の叔父とは妙に気が合ったのだけど、そんな叔父は親戚からの受けが悪く、ギャンブル好きで、奥さんに逃げられもしていた。
「ろくでなしだったねえ」
 お葬式で、叔父は送られる人だから、悪意のある言葉ではなかった。でも、私はその言葉でひどく嫌な気分になった。胸がむかついて深く息をした。その言葉を発した彼の隣で上品に笑っている女の人を、金属バットで殴り殺す想像をした。もちろんバットは持ってなかったし、本当にそうする気もなかった。
 誰も悪気ではなかった。女の人も彼を元気づけたくて、「こう言っては何だけど」と漏らしたのだと思う。でも、それと連れ立って出てきた叔父への言葉に、彼は自分のてのひらに爪を食い込ませた。ときおり相槌を打ち、ずっと周りの人達の話を聞いていた。泣いてはいなかった。ただ、ずっとこぶしを握っていた。
 それがひどく痛そうで、私は泣いた。幼い子供の涙が大人を動揺させることを私は知っていた。泣きながら彼の首に腕を廻した。彼は私よりもずっと小さかった。目を瞑った。そうしないと周りにいる誰かを睨み付けてしまいそうだった。ろくでなしの叔父を気に入っていた。上品に笑う女の人を殴り殺したかった。自分に吐き気がした。一瞬だけ、腕の中の彼をくびり殺す想像をした。
 彼がびくりと震えた。


 弟は迎えに来た彼女と遊びに出掛けた。可愛らしい、優しそうな子だった。私はひとり、昔のことを思い出す。親の違う弟ができる、そのきっかけになった日のこと。
 あの日、私の中にあったものは何だったのだろう。愛情や同情。あるいは優越感。曖昧な何かに対しての苛立ち……。
 それは懐かしく、でも、どこか痛んだ。


 彼に寄り添うように座る私を、周りの人達は「優しい子だ」と言った。私は何度も首を横に振った。彼はその度に私の手を強く握った。私が優しくなんてないことを、少なくとも私と彼は知っていた。



Copyright © 2005 西直 / 編集: 短編