第34期 #13

赤いドレスの女

 私の生まれ育った家は田舎の大きな川の近くの湿地帯を埋め立てた場所にあって、いつも湿っぽかった。冬の朝など家を出ると白い霧に包まれて数歩先さえ見えないこともよくあった。小学校へ登校するとき、かじかんだ手に白い息を吹きつけながら、白い霧のカーテンの折り重なる道をちょっと息苦しいような気持ちになりつつ、かき分けかき分け進んだ。歩くうち、不意に隣家の瑛子の赤いランドセルが目の前に現れた。
 大人になって故郷を離れた後も、私はときどき瑛子の夢を見た。瑛子はいつも突然現れて、常に赤いドレスを着ていた。夢の中で深夜車を走らせていると、瑛子が道端で親指を突き出しているのが見えた。乗り込んできた瑛子は肉感的な美女になっていた。瑛子は大胆で、自信に満ち、口元に嘲るような笑みを浮かべていた。白い肌に濃い口紅をつけていた。白い手が伸びて赤いマニキュアの爪を私の頬に強く立てた。
 夢から覚めて、あらためて思い出の中に入って、瑛子の家の裏に古い井戸があったのを思い出す。私はよくそこで彼女を見かけた。瑛子は、祖母が水道の水を嫌うので、麦茶を沸かしたり飯を炊いたりするのにいつも井戸の水を使うのだと言った。皮膚の弱い瑛子は透き通るような白い肌をして、夏にはいつもつばの広い麦藁帽子をかぶっていた。記憶の中の瑛子は、いつも内気ではにかんだような笑みを浮かべていた。
 私は長く都会で暮らし、もう故郷に帰ることがない。今、目の前にいる女は、私が選んだ赤いドレスを着て、私の要望どおり口紅もマニキュアも濃い赤を使っていた。
「瑛子……」
「瑛子って、だれ?」
「おまえだ」
「いいわよ」
 女はホテルの一室で前渡しした札びらをすばやく数えてしまいこんだ。私は女を押し倒し赤いドレスを引き裂いた。女は品なく声を上げて笑った。静脈の浮き出た白い胸をしばらく見た。隠し持っていた剃刀で傷をつけた。悲鳴を上げて起き上がろうとする女を強く押さえつけた。
「もうしない」
 そう言って彼女に見えるように剃刀を投げ捨てた。
「変態!」
 私はさらに札びらを何枚か取り出して女の顔の上に置いた。深く入った切り口から溢れ出る溢れ出る深紅をなめてとっていきなめとっていく。
 赤い薔薇を手折った瑛子は、指を切ったことに気付いて、顔をしかめて指先を口に押し込んだ。私は彼女の赤い唇をむさぼり赤い傷口に舌を這わせ繁みの中の赤い薔薇を手折る。
「瑛子」
「知らないわ、そんな女」



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