第33期 #23

善悪の彼岸に、回る観覧車

 昔からとにかくお前は頭が悪い、馬鹿だ馬鹿だと言われて育ってきたあたしが、それでも唯一、ニーチェの書いた本だけを理解できたのは、神が殺されるところをあたしは実際に見たからである。
 真夜中のテレビモニターに映し出された街のメインストリート。カラフルな店が建ち並び、人混み、人混み、その中で白いドレスの神は、後ろから誰かにナイフで刺されて倒れ、そして死んだ。
 神が死んだ!
(「いやはやとんでもないことだ。この聖者は知らないのだ。神が死んだということを!」)

(「ならば選びたまえ。君はビッグだ!」)
 誰もいない客席の中、あたしは本をぱたんと閉じる。この本も難しすぎて、解らなかった。綺麗な色の表紙なのに。
 ロックスターは叫び疲れ、ステージの真ん中でついに寝た。
 本を捨てに外へと出る。帰る頃には起きるだろう。そして共に家へ帰る。もう二十歳だから、五年も一緒に暮らしていることになる。
 コルベットのドアを開けキーを回す。ゴミ箱を探しに街へと出かける。綺麗な色の本に合うようなゴミ箱を探しに街へ。
 大きなスクランブル交差点。信号が変わる。車を出し、角を曲がる。
 そこに神が倒れていた。
 ブレーキを思い切り踏み、車を止める。
 がらんとしたメインストリート。静か。とても静か。居るのはあたし達ただ二人だけで。
 車を降り、肩に手をかける。
「ねえ、ねえ、大丈夫?」
「ふう」
 神は顔を上げ、息をついた。
「おなかを刺されて、痛いわ。誰も助け起こしてくれないし」
「ごめんね。すっかりニーチェに騙されて。やっぱり生きていたのねあなた。やっぱり生きていたのね」
「ええ。ドレスが真っ赤になっちゃったけれどもね」
「良いわよそれくらい。あたしが何とかしてあげる。こんなにお店もあるし。ねえ、乗って。何処が良い? 何が好き? 連れてってあげる」
「服は良いわ」
 神が車に乗り込む。
「それよりわたしは、遊園地に行きたいな」
「解ったわ」
 あたしは答え、車を発進させる。
「血だらけでひどい顔ね」
 バックミラーをのぞき込みながら神が言う。
「髪もバラバラ」
「本当ね。でもあなたが来たら、みんな喜ぶわ」
「そうかな。みんな忘れてないかな」
「そんなことは無いわ」
「なら良いけれど」
 そう言うと神は、あたしの本をぽらぱらとやりだした。あたしはアクセルを踏む。遠くには焼け落ちた遊園地群の灰色の観覧車。膨大な数の灰色のゴンドラが、青空の中、静かに揺れている。



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