第33期 #21

AC

 コンクリートの打ちっぱなしで設計されたカフェが、森林公園を抜けた先にある。駐車場や駅とは逆の方角で道は細い上にでこぼこしているから、歩いてしかいけないけれど、森が切れたら左手にそれはある。
 ただでさえ小さな建物の小さな入り口は常に閉じているので、営業中かどうかは外から眺めただけでは解らない。それに看板がないから、ここがカフェであることを知っている人自体がとても少ない。入口の隣にポストがあって、そこに【アリスカフェ】とささやかに書かれていることに気付くか、それ以上にささやかに漂う珈琲の香りを感じ取ることができなければこのカフェは見付からない。
 青年はドアノブを捻る。キッと短く金属音を一度だけ立てて……回った。どうやら今日は開店中らしい。猫背になるだけでは足りず、さらに膝を折って赤い扉を潜り抜けると、珈琲メイカを乗せたテーブルが置かれたスペースに出る。椅子は二脚。六帖ほどしかない狭い店内には、それだけしかない。そして二脚のうち片方には一人の少女が座っているのだ。青年は少女に向かい合うように椅子に座る。これでアリスカフェは満席になってしまう。青年が席に着くと少女はゆっくり立ち上がって、ドアに鍵を掛ける。何処か機械的で人形的な動きだ。フリルが多目の黒いワンピースに、染みひとつない白い前掛け、長い艶やかな黒髪を飾る白いカチューシャ。歩いた分だけふわりと震えるそれらは中身より生きている感じがするから不思議だ。
 少女が再び青年の前に座ると珈琲メイカのスイッチを入れる。こぽこぽこぽ。珈琲が出来上がるまで、物言わず少女は青年の瞳を覗き見る。少女の瞳の中で息が続かずに溺れるまでの五分間。やがて一杯分の珈琲がカップに落ちる。
 青年がソーサごと左手で持つと、立ち昇る湯気が一本の糸になって、少女を捕まえる。抵抗しないことを良いことに糸は重なり合って、少女を離さない。そうして青年は少女ごと珈琲を楽しむのだ。



Copyright © 2005 青島さかな / 編集: 短編