第32期 #15

手術

 徐々に悪化する腹痛を訴えて患者が来る。32才の未婚女性。触診で腹部に硬い部分を触れる。画像診断の結果腫瘍が見つかる。おそらく悪性腫瘍に違いない。
「悪いものかもしれないから早めに手術した方がいいですよ」と説明した。
「そうですか。ではお願いします。先生の手術はとても上手だと聞いていますので安心してお任せできます」
「ええ、任せて下さい」
 患者は意外なほど落ち着いた様子で手術の承諾をした。未婚のせいか年齢の割にあどけなさの残る顔。ふと、昔診た患者のことが頭をよぎる。あれは駆け出しの外科医の頃。若年者に稀に発生する腹部の悪性腫瘍だった。苦い記憶。過ぎたことだ。そう思っても心のどこかにしこりが残っているのを感じる。だが今や私はこの分野では権威と言われるまでになった。立場も技術も昔とは違うのだ。
 そして予定通り手術がはじまる。やはり周囲の組織と強固に癒着した悪性腫瘍だった。だがエキスパートである私には困難な手術ではない。慎重に剥離をすすめる。しかしそのとき予期せぬ大出血が起きる。昔の手術の記憶がまたよみがえる。あのときパニックになってしまったこと。普通ではあり得ない場所に珍しい血管の奇形があり、そこからの出血であった。しかしそのことに気づくのが遅れたせいで少女の死を早めたのは間違いない。同じ過ちはすまい。心を落ち着かせ、動揺するスタッフに指示を出す。どこからの出血か。分からない。もしやと探ると、果たして、昔の少女と同じ血管の奇形があり、そこからの出血であった。そんなばかな。確率的にこんな偶然はあり得ない。とにかくその部位を迅速に縫合する。間一髪で出血は止まり、バイタルサインも正常範囲に復帰した。そして無事に腫瘍を摘出し手術が終了する。
 よかった。スタッフたちも安堵の表情を浮かべている。患者の様態は、と見ると、まだ麻酔から覚めるはずがないその患者は、しっかりと目を開け、語りかけてきた。
「ありがとう先生。今度は助けてくれたのね……」
 そうか、あれは20年前。少女が生きていれば丁度この女性の年齢になっていたことだろう。この人はあの少女なのか。そう気づいたとき、私と患者の様子を驚いて見ていたスタッフたちの姿が消え、いつの間にか少女の姿にもどった患者も、微笑みながら消えていった。



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