第32期 #13

魔王

私がジュリアと出会ったのは、五年前の夕暮れ時だった。
ジュリアは夕立の中で泣いていた。私は一目で彼女が迷い子だということがわかった。迷い子の泣き顔と言うものは、仕事上一目でわかるものだ。
私はいつも通り彼女に近寄った。
「おじょーさん、どうしたのかな?」
私は彼女がすぐに泣き止むだろうと思っていた。
私はいつもの営業スマイルを浮かべていたし、飴玉とクッキーも持っていたのだから。
しかし、私の意に反して彼女は私を拒んだ。それどころかさらに激しく泣き出したのだった。
「おじさん、変なニオイがする!」
私はドキッとして、思わず胸を押さえた。魔王という仕事をしていて、一度だってそういうような、そう、負のニュアンスを含む言葉の類を子供から向けられたことは無かったのだから。
彼女は駆け出そうとして足元をさぐった。
―――ジュリアは目が見えないのだ。
そのしぐさで私は悟った。
だから彼女は嗅覚が優れていて、と言うよりは、むしろ霊的なものを含んでいたのかもしれないが、“何か”を嗅ぎ分けることが出来たのだろうと思った。
そんなことを考えていると、ジュリアは振り返って言った。
「おじさん何するヒトなの?悪い人?」
私はそれを聞いて判らなくなった。
馬鹿馬鹿しいがその一言でだ。
自分は迷い子達をユートピアに連れて行き、次の迷い子達を連れて来るための資金を貰う。
それがいいことなのか悪いことなのか判らなくなったのだった。
「いいや、君をお家に帰すために来たヒトだよ。」
魔王失格だとは思ったが、私はなぜかそう口走っていた。
そういうとジュリアは、「ホント?」と言ってにっこり笑った。
私はジュリアを家に連れて返すことにした。
この子をユートピアに連れて行ってはいけない気がしたのだ。

ジュリアの街は案外すぐに見つかった。烏のチールが教えてくれたのだった。

ジュリアの街の張り紙で自分の顔を見つけた。
私は泣き出しそうになっていたのだと思う。
自分の仕事が“幼児誘拐”と言う罪になると知ってしまったのだから。ジュリアは私に飴玉をくれた。
ものすごく甘く感じた。
それからジュリアを無言で彼女の家の門まで送った。
ジュリアは彼女の母に「神様が送ってくれたの」とだけ言った。
ジュリアの母の様子から彼女は捨て子ではなかったということを悟った。
足早にその場を去りながら魔王退職を宣言した。
―――空に向かって。

「ジュリアは大きくなったろうか?」
暗闇に独り呟くときがある。



Copyright © 2005 沙海 素 / 編集: 短編