第32期 #11

姉がしてくれた話

―あるところにいつもさびしそうなちいさいうしがおりました。てんきのよいひでも、こやのなかでうずくまり、めをとじていました。
きれいなおつきさまのでてるよる、こおろぎがきれいなこえでなきました。
「なんてきれいなおつきさまだ」
とってもたのしそうです。
こおろぎがうたいながらくさのなかではねておりますと、ちいさなこやのなかにちいさなうしがおりました。
「うしさんうしさん、どうしてそんなにさびしそうにしてるんだい?こんなにつきがきれいなのに!」
するとうしがいいました。
「ぼくはひとりぼっちなんだ。さびしくてさびしくてしかたがないんだ」
こおろぎはうしがとてもかなしげにいうのをきいて、いいことをおもいつきました。
「あしたのよる、もういちどくるからたのしみにしていてよ!」
つぎのひのよる、こおろぎはやくそくどおりやってきました。ちょうねくたいをしめています。
「うしさん、みていてね」
こおろぎがあいずのようにうたいだすと、くさむらからつぎつぎにたくさんのこおろぎがはねて、いっせいにうたいだしました。すてきなおんがくかいのはじまりです。おどりだしたくなるほどたのしいがっそうでした。うしもしっぽをふりまえあしをならしとてもたのしいきもちになりました。
「こおろぎさんありがとう。ぼくもうさびしくないよ」
こうしてうしはそれからたのしくくらしました。―
 姉は小さい頃から沢山の物語を書いていた。この話は5歳の時に書いたものだ。幼稚園で作ったのか、よくできましたのスタンプが押してある。   
 姉の物語はどれも優しく楽しく、ひどい事悲しい事は一つも無い。姉自身もまた優しく、困っている人を放っておけない。姉は人の悲しみの淵でそれを覗き込むのではなく、その悲しみまで降りていってしまう人だった。
 窓際に姉が座っている。春の光がその輪郭をなぞっている。産毛がきらきらと光り、髪が静かな風に揺れている。空ろな瞳で虚ろな青空を見上げて。
 姉は突然物語を書くことをやめた。そして世の中の全てに対して蓋をしたように、黙って空を見上げ続ける人となった。どんなことが彼女に起こり、なぜそうなってしまったのか、私には分かりえない。
 姉の幼い字を指でたどる。このお話の中で一番優しかったのは、心配してくれたこおろぎではなく、相手の気持ちを100%受け取ってこれからは頑張れると言った牛かもしれない。それが即ち、姉の苦しみだったのだろうか。



Copyright © 2005 長月夕子 / 編集: 短編