第31期 #21

ラッキーアイテムは風邪薬

 七度四分だった。もう一回測っても一分しか変わらなかった。なのにアヤはパジャマ姿で言い出したのだ。
「もうだめ。風邪だから休む」
 あと十分ほどで部屋を出ないと遅刻してしまう、そんな時間に。時計代わりのテレビには星座占いが映っている。
 僕は持っていた歯ブラシを置いて、手をアヤの額にのせてみた。そして自分の額に。
「よく分からない……」
「リョウが分からなくても、私の体なんだから私が一番知ってるの。風邪だと言ったら、風邪なわけ」
 アヤの顔をじっと見つめる。同棲し始めてから一年近く経つけれども、調子を崩したことなんて一度もなかったのだが。確かに目がいつもより潤んでいるような気もする。


――今日運勢が最悪なのは、牡牛座の貴方。


 会話が止まった隙にするりとテレビの音声が流れてきた。よりによって僕もアヤも牡牛座である。だからどうというわけではないが、僕は努めて気付かないふりをする。
「で、どこか具合悪いところはあるの?」
「ぼーっとする、眠い、つらい、以上」
 つらい、という言葉が引っかかった。ここ一ヶ月近くアヤは土日も仕事に出ていたから。僕が休むように勧めても頼んでも、
「今大事なトコだから」
 と、取り合ってくれなかったから。愚痴ひとつこぼさずに働いていたけれども、どこか無理をしていたのだろう。


 テレビには見慣れないCMが映っている。完全に遅刻だ。


「ねえ、リョウ、病気の彼女を置いて働きに行くわけ?」
 アヤはそう言って、再び歯ブラシを手に取った僕を制する。
「さ、早く電話して」
「え、アヤの会社に?」
「リョウの会社に決まってるでしょう。愛する彼女が風邪をひいたので、看病しますって」
 そんなことはとても言えないので、仮病を使うことにした。ケータイの向こうにいる上司に対してペコペコと頭を下げた。でも、その様子を見届けるとアヤは、
「実はリョウもズル休みしたかったんじゃないの?」
 なんてぬかす――が、その直後、潤んだ目で何かを言いたそうにこちらを見ている!

「まあ、もう一度ベッドで寝るといいよ」
 ここでも僕は気付かないふりをして、仲間になってあげることにした。アヤは笑顔になりかけ、しかし何とか憂いを取り戻し、そしてつぶやく。
「リョウ、何か企んでるんじゃない?」
「病気の人としようなんて思わないよ」
 アヤと目を合わせると気が変わってしまいそうだったので、僕はあらぬ方向を向いた。アヤの手をとった。少し暖かかった。


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