第31期 #20

ピロートーク

栄治は三年前、中国残留邦人として東京に妻の萌鵬を連れて五十五年ぶりに帰国。毎月の手当は九万円。祖国での厳しい現実。体調もすぐれず、つましい生活に心配ごとが重なる。それは故郷では明るい性格だった萌鵬が心を閉ざしていること。師走のある日スーパーの景品としてもらった宝くじで三百万円が当たった。栄治は大連に里帰りしよう告げた。萌鵬の目が一瞬輝いた。栄治は賞金を神棚に供えた。翌日、病院から戻ると家はもぬけの殻。神棚から札束がひとつ減っていた。萌鵬は中国へ帰ったのだと、栄治は残りの札束を掴んで大連に渡った。親戚縁者の家には萌鵬はいない。栄治はホテルを泊まり歩いて萌鵬を探した。栄治が青年時代を過ごした撫順まで来たとき胸苦しくなった。栄治は撫順の製鉄所で萌鵬と出会った。萌鵬は当時、劉震という同僚と交際していたが栄治が奪い取って結婚した。以来、劉震とは顔を合わせていない。栄治は製鉄所のあった場所に行ってみると公園になっていた。そこに地べたで座る老女がいた。萌鵬であった。栄治は抱き抱えると喜んで「劉震」と叫んだ。萌鵬はすでに痴呆が始まっていた。余命僅かと悟る栄治は萌鵬にひと目劉震を会わせようと決意。そうして劉震の住んでいた家を探し出す。劉震そっくりの息子がいた。栄治は経緯を告げると一冊のアルバムを手渡された。それは若かりし頃の劉震と栄治と萌鵬の写真。しかし、劉震はすでに死んでいた。自殺であった。栄治は何も言えず辞去。ホテルに戻ると劉震として振舞う栄治。栄治は劉震に嫉妬した。栄治の病状は徐々に悪化。最期を覚悟した栄治は萌鵬を自分の傍らに入れる。今生の別れ話をする。泣きじゃくる萌鵬。そのときアルバムが机から落ちた。一枚の写真が外れた。それは三人が笑っている輝いた写真。裏面に「萌鵬を永遠に愛す」と記してあった。栄治は劉震の痛みを感じたのがこの世の最期だった。



Copyright © 2005 江口庸 / 編集: 短編