第31期 #18

迷わない迷路

 どこだか分からない場所で道に迷った。
 
 僕は大人だし、財布の中にお金はたいしてなくてもクレジットカードがあるし、クレジットカードの使い方なら知っているし、何よりここが、明瞭な『システム』に則って動いている場所であることを知っている。
 
    *
 
 幼い頃、やはりどこだか分からない場所で迷っていた。その頃の僕には家があった。母がいて、父がいた。学校があって、井戸端にたむろするおばちゃん達がいた。ヒヤシンスと朝顔が、通学路の垣根から顔を覗かせていた。知らない町は知らないというだけで、恐怖そのもので、僕はやみくもに道路を駆けた。知らない大人達に道を尋ねて回れるほど愛嬌のある子供じゃな
かった。口をつぐみ走り回った。そうでないと町が、自分を飲み込んでしまう気がした。
 
 結局あの日、どうやって家までたどり着いたのか憶えていない。上手い具合に知った道へ出たのかもしれないし、帰りが遅くなって心配した父か母に見つけてもらったのかもしれない。それから残っている記憶といえばただ、食卓の隅でとてつもない安堵と一緒に味わったアイスクリームの甘さだけだ。
 
 僕は大人になった。けれど、あの時の恐怖はどこへ消えたのだろう?
 
    *
 
「どうやら道に迷ってしまったみたいだ」僕は携帯から彼女に電話をかけた。「すまないけど、時間通りに約束してた場所へ着けないかも」
 
「そう。ちょっと待って・・・・・・あなたの携帯からの電波で、こっちの方にも位置情報が出るわよ・・・・・・ええと今、赤池町25番地・・・・・・にいるのね。最近は周辺の地図まで出てくるのよ・・・・・・ねえ、近くにジャスコの看板でも見えてないかしら?」
 
「あぁ・・・一筋向こうの通りに、見える。見えるよ」
 
 どうやらジャスコの近くに地下鉄の駅があるらしい。彼女にはおわびに、ジャスコ店内のハーゲンダッツでアイスクリームを買っていく。
 
 それがどれだけ甘いとか、もう、感じないにしろ。   


Copyright © 2005 佐倉 潮 / 編集: 短編