第30期 #22
私が来春高校に上がろうという年の冬であった。
姉が突然、帰郷して来た。
昨晩短い電話を寄越した切りで、今日の昼過ぎにはもう実家に着き、炬燵に上体を預けて寛いでいるのであった。
炬燵の卓の上に、大振りの花を付けた寒椿の枝が放るように置かれていた。
「それは」
「帰ってくる途中、取って来た」
枝の上に残った僅かな白雪を懐かしそうに眺め、姉は「大阪では雪降らんかったな」と呟いた。
私には帰郷の意図が判らず、何か焦れたような気持ちで卓を挟んで座った。
「正ちゃんは」と問うた。姉が戻って来る時はいつも、一人息子の正太を連れていた。
姉は卓に左頬を突けたまま、「ううん、ひとり」と応えた。
今年四歳になるその子の父親という人を、私はこれまで見たことが無かった。
縁側に、見知った四隣の住人達の影がちらついていた。
母は湯気の立つ茶碗を姉の前に差し出しながら、不快そうに顔に皺寄せて「何処で聞きつけたんかね」と訝しがった。
茶を啜りながら姉をちらと見遣ると、湯気の向こうに在る姉の佇まいは酷く朧げで、粒の粗いもののように見えた。
乱暴に折られた寒椿の枝から雪融けの雫が滴り落ち、卓を転々と濡らしていた。
姉は目を薄めてその島々を暫く眺めた後、左手を布団から緩やかに抜き出して、水滴の滑らかな膨らみの内に人差し指をそっと浸した。そしてそのまますうっと手前に引き、やがて静かに雫の跡を踊らせた。狭い卓の上の、愉しげな、しかし孤独な道行であった。
宙にたゆたう左腕のうねりに輪郭を震わせ、今にも霧散して行きそうな姉の両の瞳に、寒椿の凄烈な紅が滲んだ。
私はそこに、未だ嘗て知らなかった、女、というものを見たような気がした。