第30期 #13

母からの電話

 もしもし、あんた? あたし、あたしっ。
 今どこにいると思う? あたしねぇ、○○温泉にいるのよぉ。もぉー、体のあっちこっちが痛かったのがうそのようでさぁ。やっぱり温泉って体に効くんだわねえ。気持ちよくて、気持ちよくて、天国にいるようだわぁ。
 そいでねぇ、お昼に松花堂弁当食べちゃってさ。これがまたおいしかったのよぉ。刺し身は生きがいいし、煮しめは薄味だけどしっかりだしがきいてて、プロがつくるとさすがだなあーって思ったわよぉ。高野豆腐なんか、あんた、一口いただくと煮汁がジュワーッと……ああ、たまんない。あと、何があったっけ。あーっ、てんぷら、てんぷら。エビでしょう、それからキスでしょう、サツマイモに、マツタケ。あたしさぁー、実はマツタケ、食べたことないのよねぇ。キノコはキノコだったんだけどさぁ、いーい香りがしたし、きっとこれはマツタケだと思って食べたわよぉ。多分マツタケよ、おいしかったもん。それからさぁ、トンカツもあった。茶わん蒸しに、シューマイ、菊の花のおひたし。お酒も出たのよぉーっ。昼間から酒飲んでいいのかしらねぇと思ったけどさ、まあー、たまにはいいかと思ってさ、いただきましたわ。御飯はねぇ、栗御飯だったわよぉ。おっきい、まっ黄色の栗が入っててさぁ。デザートはあんみつ。あんた、好きだったわよねぇ。それにコーヒー。あーあ、おなかいっぱいになっちゃったわよぉ。
 これからねぇ、宿の人が紅葉の名所に連れていってくれるんだってさ。紅葉が見ごろなんだって。お父さんがいたら、「ここで一首」なぁーんて言って、歌詠んでただろうにさぁ。お父さんにも見せたかったねぇ。ここの紅葉、あんまり有名じゃないらしいけど、そりゃあ見事なものらしいのよねぇ。カメラも何も持ってこなかったから、あんたにも見せられないねぇ、残念だけど。
 そうそう、仏壇の水、取りかえといてね。お父さん、のど渇いているとかわいそうだからさ。
 あたし? あたしは大丈夫。水は要らない。
 もみじ、生けてくれてありがとね。あたしが好きだったの覚えていてくれたんだぁ。
 あっ、行かなくちゃ。じゃあね、バイバーイ。


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