第30期 #12
轟音を響かせて通り過ぎて行く電車が瞬く間もなく視界から消え去っていくと、いつも取り残されたような寂しさを覚える。
プラットホームに突っ立った夕子は、風でなびいた髪を気にしながら携帯電話の時計に目をやった。各駅停車が来るまであと十分はある。
折りたたんだ電話をバッグのポケットにしまうと、どこか遠くで犬が鳴いた。
古ぼけた薄暗い駅舎には年の瀬のあわただしさなど微塵もない。あるのは年中通して漂っている、老人のため息にも似た物寂しさだけだった。
塗料がはがれて鉄さびが虫食いのように顔を出している柱にもたれかかり、向かい側のホームを照らす蛍光灯の光に目を細めた。 ぽつりぽつりと一定の間隔を置いてほのじろい明かりを落とす光が逆に暗い影を際立たせていた。
「たまには布団干したほうがいいんじゃないの?」
「北向きの小さな窓しかないこの部屋でどうやって布団が干せるっていうんだよ」
「言ってみただけよ」
また向かい側の線路を電車が通過し、冷たい夜気が線路を打ち付ける音とともに耳に突き刺さった。都心に向けてまっすぐに走り行く電車の背中を見送りながら、夕子はついさっきまで一緒にいた俊介の無頓着さを思い、視界から消え行く電車に乗った人々を羨んだ。
遠くで鳴り続ける踏み切りの音に夕子が気を奪われていると、唐突に頭上のスピーカーから電車の到着を知らせるアナウンスが流れた。夕子は反射的に身震いをした。
光沢のない銀色の車体をきしませて目の前に電車が止まり、ドアが開いた。暖房の熱気以外に外に出るものは何一つなかった。空席に腰を下ろした夕子は、正面の窓越しにまた向かい側のプラットホームに浮かぶ淡い光を見た。
寒い。湿り気を帯びた空気に包まれた夕子は、ゆるめかけたマフラーをもう一度結びなおし、はじめて自分が寒いと感じていることに気付いた。季節はもう完全に冬なのだ。冬。そうだ。電車を降りたら夜空にオリオン座を探してみよう。もしかしたら北斗七星だって見えるかも知れない。他に冬の星座って何かあったかしら。でもその前に少しだけ眠ろう。眠って全てを忘れよう。そう、全て、何もかもを。
軽くうつむいて目を閉じた瞬間、ドアが一斉に締まり、電車は車体を軋ませながらゆっくりと動き出した。ひび割れた声で車掌が次の停車駅の名を告げたときにはもう、夕子はまどろみの沼にいた。音も光もない、彼女だけの空間にいた。