第30期 #10

 「17歳の夏をそんな田舎で過ごすもんじゃない」という東京で1人暮しの姉からの電話を受けたのは、終了式当日の夕方だった。その無茶苦茶な意見に対する術の無い私は、言われるまま東京行きの電車に乗った。雑誌の仕事で昼夜無く、部屋が散らかり洗濯物がたまるという愚痴を話の合間にさりげなくはさむとはさすが長女。要は家事をやって欲しいのだ。
 待ち合わせは、東京駅。東京だから東京駅とは判り易くていい。迷路の駅構内を抜けると、夏の強烈な日差しとアスファルトの照り返しが360度の方向で私を直撃する。
 くらくらしながら前方を見ると、派手な黄色のキャミソール花柄ジーンズサングラスの女がいた。28にもなってなんて恰好だと思っていると「なんてかっこしてんの?」と先に姉が言う。Tシャツにジーンズ、スニーカーがそれほどの不評と思えない。姉はついて来いとピンヒールでざくざくアスファルトを削っていく。(もちろん比喩だ)やがて立ち止まるとボルボが停車していた。すわ、姉の給料はそんなにかと驚いたが、まもなく運転席から光の中に長身の男が降り立った。
「友達でカメラマンの桜井さん、あんたのために車出してもらったの」
ああなるほどと納得しながら矯正視力0.5の見える範囲まで近づく。「初めまして」という桜井さんの顔を見上げて私は固まる。そこに100%の男がいた。100%と女とすれ違う小説を思い出す。私はすれ違うだけでなくまさに今、微笑えまれている。
 緊張しながら後部座席に身を沈める。高級そうなチョコレートをもらっても、全く味がわからない。「現像所寄りたいんだけど、いいかな?」と赤信号で停車中に桜井さんが私に話し掛ける。ドウゾドウゾとしどろもどろに答えたその時信号が青に変わった。瞬間、これは恋ではなかろうかと思った。俄かに私の心臓は忙しなる。「じゃ、悪いけどちょっと待ってて」と車を降りた背中を穴のあくほど見つめていると、不意に姉が言った。
「桜井さんに惚れちゃ駄目だよ」
私は助手席を振り返る。
「桜井さんはね、ゲイなの。だから好きになっても無駄なの」
こちらを見もせず、留守番電話サービスのように姉は言いきる。私は言葉の意味を飲み込むよりも前にふと思ったのだ。姉こそがまさに無駄な恋を、桜井さんにしているのではないかと。
 チョコレートを助手席の前に差し出す。「食べない?」と聞くと、姉の左手だけが振り返って、一つつまんだ。



Copyright © 2005 長月夕子 / 編集: 短編