第30期 #9
文明の熱狂の皮の下で、いつでも戦争がにたりと舌を出して笑っている。
*
たまの休みになると田畠さんは町を散歩するのが常だ。そうしていつからか彼のお供をするのを習慣としてしまった僕にとっても。
千年ほど昔の世に碁盤の目のかたちと組まれた道を二人でずんずん歩く。おかげで僕は高倉通りとか蛸薬師だとかいった、京の狭苦しい町並みにだいぶ詳しくなった。でも田畠さんはそういう方面にかけてはまるでトンチンカンな人だから、僕がいなくてはきっといつまでも千年前の人間と同じ調子で、碁盤の目の中を徘徊しているに違いない。
「あぁ完全拡散面だ」
その時、田畠さんは初夏の空を見上げそう呟いた。僕には『カンゼンカクサンメン』の意味が何だかまるで分からない。分からなくってもいっこう平気でいる。「田畠さん、おなかが空きましたね」そう言って、うどん屋にでも連れ込んだらしまいになる話だから。だけど、とりあえずサングラスの隙間から上目使いでチラと空を見上げてみた。なんのことはない。頭の上では全くの青が周囲の山々をまたいでいる。
田畠さんは今度は視線を地面に落とし僕に言った。
「ねえ。このコンクリートの道も、人間が作った」
あまりにも当たり前なことなので、返す言葉も見つからずいたら次は、「あの京都タワーも人間が作った」と南の方を指差して言った。それから路上に駐車してあるフォルクスワーゲンのボンネットを手の甲でコツンと叩いて、「この車の部品一つ一つは、人間が作った」と言った。
それから、
「あの瓦屋根も人間が作った」
「ほら、その四つ穴のポストも人間が作った」
「僕らの穿いている靴も、来ている服も全部を人間が作った」
「この空の青すら人間が作った」
「それは実に−」
いつになく饒舌だった田畠さんは、そこで言葉を詰まらせた。僕は「実に」の後があるのだろうと大人しく待っていた。
けれど、ただの空白。
*
僕らが再びとぼとぼと歩み出したところで田畠さんは一言、
「戦争」と低く口にしていた。
それはまるで焼け払われた荒地を眺める人の言葉に似た響きをしていた。戦争。僕がサングラスを外し見上げた空の底には、先ほどの空白の時間が置き去りにされていた。もう、戻ってはこない時代の。