第3期 #4

あの夜、あの赤い木枠

例えばあの夜、あの赤い木枠の上に腰かけてあなたと話をしたこと。あなたも私も多少酔っていて、モスクワ帰りのあなたは少しやつれて髪を思い切り短くして、なおかつ何かよく分からない押しの強さを秘めて目をギラギラと輝かせていた。私はそれを私に対する執念か何か、愛情ではないにしろ少なくとも性欲の現れだととりたかった。だけど結局のところはよく分からない。私は最近出来た4つ年下の恋人のことをあなたに釈明しなくてはならなくて、どうして釈明する義理があるのか私にもあなたにも実ははっきりと言えなくて、というより多分あなたがそれをわざと見えないような具合にしていて、私はそれをあなたの頭の良さと同時に狡さのせいにしたかったのだけれど、果たして何が真実だったのやら。あれから3年が過ぎた今、あの時のことを今更どんな風にあなたに尋ねるべきかさえ私は知らない。
それとも結局のところ、私が物事をありのままに正しく見なかったという、ただそれだけのことだったのでしょうか。それは私において有り得ることです。単純なことを時に非常に曲解してとってしまう。自分ではこの上なく正しい判断をしているつもりであったりするのですが。
それともそんなことは誰にでもよくあることでしょうか。

久々に大学に行って退学の手続きをとって、あの赤い木枠の横を通って懐かしい場所を未来永劫に後にした。その後振り返ってまたあの赤い木枠を見たのかどうかはよく覚えていないのだけれど、後になって大学を辞めてきたのだということを思い出す度、心に浮かぶのはあの時あなたと一緒にあの場所に座っていたということ。あなたにいくつか大事な話をしてこなかったということ。そのことばかりで。
あなたに話さなかったのは文学部2号館の書庫のエレベーターのことです。それから明治時代の建築を模した奇妙な作りのおかげで、便座に座るとガラスの外から丸見えになってしまう新館の馬鹿げたトイレのこと。それから。
モスクワからあなたが送ってくれた辞書の中に挟まれていた一輪の青い押し花のこと。
あなたと私の関係に何があったのか、何が足りなかったのか私には分からないままです。

ネットの文芸サイトであなたに似た人を見付けました。実は名前の一字が共通するという、ただそれだけの「相似」ですが。
彼にこれを読んでもらえさえすれば私は満足なような気がします。
あなたもどこかで書いていることでしょう。



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