第29期 #4

謎の転校生

 星空を思い出した。私は星空を見ていた。
「時間って、不思議だね」
「時間はね、カーテンみたいなものさ」
 彼は深く厚いカップに入ったコーヒーを大切そうにかき混ぜた。クリームが銀河のように渦巻いた。私はこの田舎町に一軒しかない喫茶店に、彼と一緒に入ったのだ、耳に馴染みのないジャズが流れ、急な暗闇に目が霞んだんだ。年取ったマスターは賢者のように静かで思慮深く見えたものだ。
「おはよう、――君」
 私は転校生の目を覗き込んではっきりそう言った。それからぱっと駆け去って、友達とひそひそ話した。何、彼? 変わってるね。生意気そう。かっこいいけど、外見だけは。
 彼はいつも独りだった。仲良くする気がないなら、いじめられても仕方ない。けど、大将と喧嘩して勝ったそうだ、それで男子の間では決着が付いたそうだ。でも、彼は相変わらず独りぼっちだった。
「一緒に帰ろう。あのね、私、傘持ってるよ」
 あれは中学一年の夏のことだった、たまたま彼と二人きりになって、学校からの帰り道、すぐに夕立が上がって、夏の日差しのつぶつぶは濡れた地面に窓ガラスに車のボンネットに当たってきらきら輝いていた。彼は喫茶店の前で首を傾げて、寄っていこうと言った。私は精一杯背伸びして、「いいよ」と低い声を出した。
「――君。君はなぜいつも独りなの? 私たちのこと、私たちの町、嫌いなんだね。ここはつまらない田舎町さ」
「そんなことないよ」
「君のお父さんは転勤ばかりしてるそうだね。この町からもすぐにいなくなるんだね」
「ああ」
「時間が経てば、忘れてしまう?」
「忘れないよ。ぼくはね」
「私も忘れない」
「君は忘れるよ」
「忘れない」
 彼が家の前まで送ってくれたとき、もう日が暮れていた。私は星空を見た。
「ぼくたちの種族は時間というカーテンのうねりを渡っていく。君には長い年月が、ぼくにはほんの一飛びだ。ぼくは明日違う時間に移って、見えなくなる。時間が移ると、ぼくたちはお互いを忘れてしまう」
「あんなに遠い星が見えるよ」
「不思議だね」
「私は記憶というカーテンのうねりを渡っていく。どんなに離れても、ほんの一飛びさ。だから君を忘れない」
「ぼくも忘れない」
「君は忘れるよ」
「忘れない」
 忘れない、あんなに遠い星が見えるから。彼が送ってくれたこと、初めての抱擁、肩越しに見上げた星空――。
 次の日、教室に彼の名前はなかった。どんな名前だったかどうしても思い出せなかった。


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