第282期 #3
ついに恐れていた事態が起きてしまった。購入して十年、随分と無理して手に入れたドラム式洗濯機が原因不明のエラーを頻発して使い物にならなくなった。けたたましい警告音と共に、液晶には「E02」という理解のできない表示が繰り返される。
「新しいのを買えば良いじゃないか」と夫はこともなしに言う。もちろん、買い替え時であることは承知しているが、金銭に無頓着なその態度に腹が立つ。来年には、勇太の高校受験を控えているのだ。塾代やら進学費用やら、今は少しでも出費を抑えたい。
そんな気持ちを露ほども知らず、当の息子はソファに寝転がってスマホに夢中だ。この頃は、思春期というやつなのか自分のことなど少しも話してはくれなくなった。楽しいのか悲しいのか。無表情な息子を見ていても、私には何もわからない。大袈裟な警告を与えてくれる洗濯機の方がまだ可愛げがあるかもな、と思ってしまう。ジロジロ見られていることに気が付いたのか、息子が「何?」と怪訝そうに言った。
結局、洗濯機は修理を呼び、哀れな延命治療を施されることとなった。
出張修理が来る予定の朝、時間よりも随分と早く家のチャイムが鳴った。こちらの準備もままならない。文句の一つでも言ってやろうかとドアを開ければ、見知らぬ夫婦と母親に抱えられた小さな赤ん坊がいた。
「あ、僕たち近所に引っ越してきまして」
そう男が挨拶する。
「これ良ければ。つまらないものですが」
菓子折りを受け取り、ご丁寧にどうもと私も返事をする。近隣に分譲住宅ができたことは知っていた。不機嫌そうにドアを開けた自分を少し恥じてしまう。
二人とも慣れない育児に奮闘しているのだろうか。随分とやつれて眠そうに見えた。せっかくだし、何かお返しでもと思ったところで、赤ん坊が大声で泣き始めた。夫婦はオロオロと慌てている。
「ああ、突然ごめんなさい」
母親が申し訳なさそうに言う。
彼らの様子を見て、私は昔のことを思い出していた。まだ勇太が小さい頃、夜中に泣き始めて何もできずに時間が過ぎるのを待つしかなかったことを。初めて乗った電車に怖がって、目的地までずっと泣き続けていたことを。彼が拙い手段で精一杯感情を伝えようとしていたあの頃を。私もまた、腕の中の柔らかく温かい新しい命を、理解しようと必死だった。
私は小さく笑う。
「わからないことばかりだよね」
赤ん坊は洗濯機のように、けたたましく泣き続けている。